『僕の好奇心日記』其の弐 ”茶と茶の器” 松山 猛

大人の逸品エッセイ
2023.12.27
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其の弐”茶と茶の器”

 

 こどものころからお茶が大好きだったのは、両親の故郷が近江の国の土山という茶処で、

美味しい番茶がいつもあったからに違いないと思う。

 あまりお茶を飲むものだから、母親に「首から薬缶を下げてなさい」と言われたほど。

 大人になって仕事やプライベートでイギリスに行くようになると、紅茶の楽しみを覚え

た。そしてその紅茶をよりおいしくいただくためのティーカップにも興味を持ち、アンテ

ィーク・マーケットで好みの器を集めた。

 やがて結婚をしたころ、家内のお父さんから、朱泥の中国茶器と茶葉をいただいた頃から、

僕は台湾の茶の素晴らしい風味を覚えて、それ以来すっかり台湾の烏龍茶や、東方美人茶の

ファンになったのだった。

 烏龍茶の美味しさについて、いろいろと雑誌に原稿を書いていると、思いがけないこと

にその産地の台湾の、南投県鹿谷郷の農会(日本でいうところの農協)から、その年の春

茶の品評会の特別審査員をしませんかという、嬉しいお誘いを受けたのだった。

 その旅の話は、とある雑誌の特集ページとなったが、その頃から日本でも烏龍茶が一種の

ブームとなり、台湾や中国大陸からの茶葉を扱う店がたくさんできた。

 そして僕は烏龍茶を楽しむための道具立てにも興味がわき、朱泥や紫砂と呼ばれる、

鉄分を多く含んだ素材で作られる茶壷と呼ばれる、いわゆる急須や、染付の茶杯を夢中

になって探し、手に入れるために何度も上海や北京、さらに紫砂器のふるさとである、

宜興の町にまで出かけたものだった。

 もちろん台湾や、京都の骨董店でも掘り出し物はないかと茶器サファリと称して、

器探しを楽しんだものだ。

 紫砂器の名人の作品集を手に入れその歴史を知ることも興味深かった。

 明の時代の紫砂壺作りの名人の供春、恵孟臣時代の楊彭年などの茶壷の造形の美

は現代に受け継がれ、顧景舟、朱可心、蒋蓉、何道洪といった有名な作家の作品は、

ひところものすごく高価になってしまい、とても手が出せるものではなかったが、

真剣に探せばその弟子筋の作家のものなどの、良いものが手に入ることもあった。

 そして茶杯の方も、現代の景徳鎮の職人が素晴らしい絵付けを施したものなどが

見つかるので、そうした茶杯を探し出して使うようにしている。
 

 また江戸末期から明治ごろに日本でも煎茶の世界のために、素晴らしい器が作ら

れているので、骨董市や『古裂会』などのオークションで、そうした器を見つけ出

すのも楽しいだろう。

 お気に入りの器でいただくお茶は、格別においしく思え、日常を素敵にしてくれる

と僕は信じている。

プロフィール

Takeshi Matsuyama【松山 猛】

作詞家 ライター 編集者

1946年京都市東山区に生まれる。

1964年京都市立日吉ヶ丘高校美術課程洋画科卒業。

1967年友人たちのフォークグループのために書いた『帰ってきたヨッパライ』が

日本発のミリオンセラーとなる。

1970年代からは雑誌の世界で、『anan』『4』『POPEYE』『BRUTUS』などを手掛ける。

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