私はワインの保管場所を兼ねた山荘を栃木県の那須高原に建て、半地下のセラー部屋をつくり、800本ほどを寝かせている。軽井沢などもそうだが、高温を嫌うワインの保管には、こういった標高の高い寒冷地が適している。おかげさまで今のところ、クーラーをつけていなくても保管にはほぼ問題がない。
同じ那須高原に、ワイン愛好家の某大手企業の会長が別荘を作り、地下のセラー部屋に高級ワインを大量に保管していたそうだ。ところがある時、この別荘に空き巣が入った……という話を地元の建築家から聞いた。
「それは大変。高級ワインがごっそり盗まれたんじゃないですか?」
思わず身を乗り出して聞くと、建築家氏が言う。
「いやそれがワインは1本も盗まれず、台所に置いてあった瓶入りの焼酎だけ盗んでいったんだそうです」
「えっ、なぜ?盗んだワインを転売すれば大儲けなのに……」
「普通の人はワインのラベルを見ただけでは、価値なんてわからないんですよ。ワインって、難しいじゃないですか」
うーん、そうなのか……ドロボーにとってもやはりワインはわかりにくく、敷居が高いということらしい。
ひと昔に比べればワインは身近な酒になっては来ているが、「知識なしでは飲めない」と抵抗を覚える人も、未だに少なくない。ワイン漫画の原作者としては「ワインは知識がなくても楽しめる」と、作品を通じてアピールを続けてきたのだが……。
そんななか「ワインの知識はないけど、ワインが好き」という人たちに人気を集めているらしい、ユニークな“ワイナリー”を見つけた。なんと場所は東京・渋谷。渋谷に古くからある宮下公園をリニューアルして建築された巨大なカルチャースポット「レイヤード・ミヤシタパーク」の中に、4年前に誕生した「渋谷ワイナリー東京」だ。ダイバーシティ渋谷のど真ん中にできた超モダンなビルのなかで、ワインが醸造され、瓶詰めまでされているというのだから、ちょっとビックリである。
◆醸造タンクを眺めながらワインを飲む◆
渋谷ワイナリー東京は、醸造所にワインレストランが併設されている。樽が並んだ店のエントランスを入るとすぐ、数種類の自家製ワインを測り売りするタップがあり、木の造りのテーブル席とカウンターが設えられている。そしてカウンターの前に座ると、ガラス製の仕切り越しに醸造用のステンレスタンクが並んでいるのが見える。これがワイナリーというわけだ。
24平方メートルと、広めのワンルームマンションほどの広さの醸造所には600ℓのステンレスタンクが5つと、醸し発酵用タンクが2つ、立錐の余地もないほどギュウギュウに並べられている。この狭い場所で、葡萄の除梗破砕から搾汁、澱引き、濾過、瓶詰め、ラベル張りまですべての工程を行なっているのだという。
秋になると、収穫した葡萄(1回あたり800キロ)がこの部屋にエレベーターで運び込まれ、醸造作業が行なわれる。基本的に、秋は国内で収穫した葡萄が、それ以外の季節は輸入した冷凍葡萄や、白ワインの場合は葡萄果汁を原料にして、この部屋で通年、ワインを作っている。
「小さいワイナリーで人手が足りないので、お客様にワイン作りを手伝ってもらいます。醸造作業のボランティアをインスタで募集すると『渋谷近いんで、ワイン知らないけど行ってもいいですか?』と、気軽に手伝いに来てくれますよ。渋谷という立地のなせる技ですね」というのは、ワイナリーの醸造責任者・村上学さん。
ワインの知識がない人でも、簡単なアドバイスで、除梗や破砕などの作業はすぐにできるようになるという。
こうして完成したワインは、併設のレストランでサービスされるものが8割。残り2割は直営のネットショップなどで販売している。自分が手伝ったワインを飲む楽しみも味わえるので、ボランティアの希望者はけっこう多いのだそうだ。
「うちの客層は本当にいろいろです。初めてワインを飲む人もいれば、ワイン学校の生徒さんが来ることもある。でもやっぱり『ワインが好きだけど詳しくない、だからもっと知りたい』という初級者のお客様が一番常連さんになってくれますね」
そういう「知りたい」お客さんのために、仕切りガラスにはワインの作り方がフローチャートで書かれた紙が貼られていたり、「タンニンとは?ポリフェノールの一種の渋味」「ミネラルとは?鉱物を感じる味わいや香り」などといったワインの豆知識が、白マジックであちこちに手書きされている。村上さんや店内のスタッフに、ワインに関する質問を投げかけてくる人も多いという。
「お客様に一番人気なのは、30㎖ずつ4種類の自家製ワインが飲める飲み比べセット。赤、白、オレンジ、ロゼといったように、品種の個性をわかりやすく伝えられるように組み合わせました」
4種類を試し飲みして自分の好みの品種を理解したり、美味しいと思ったらグラスワインを注文したり……。この飲み比べセットも、ワインを知るための小さなきっかけになってほしい、というのが渋谷ワイナリー東京の「思い」なのだ。
◆ビルの屋上に葡萄畑、空港に醸造所も
渋谷ワイナリー東京の運営母体である株式会社スイミージャパンでは、独創的な都市型ワイナリーをいくつも開業している。
都内の下町・江東区では、16年にワインバル(昼間は試飲スペース)を併設した醸造所「深川ワイナリー東京」をオープン。国内各地で収穫した葡萄や、季節が逆な南半球で栽培した葡萄も使い、通年でワインを醸造している。またワインの商品化にも力を入れており、結婚式用に記念ラベルワインを作ったり、ポスト投函ができる360㎖の容器に入れたボックスワインを企画したりなど、小さなワイナリーならではのチャレンジ商品をいくつも作り出している。
18年からは、近隣にあるビルの屋上で大型プランターを使った葡萄栽培を始めた。この“屋上葡萄畑”は、数年がかりで少しずつ葡萄樹の数を増やし、昨年ついに40キロの葡萄を収穫、初の「深川産ワイン」が誕生したそうだ。これらは「深川ワイナリー東京」で醸造されており、併設のバルで試飲もできる。
そして、同社はついに、空港の中にもワイナリーを作ってしまった。伊丹の大阪国際空港ビルにある「大阪エアポートワイナリー」で、18年にオープン。空港内にある醸造所というのは、世界で唯一、ここだけなのだという。
大阪エアポートワイナリーも、渋谷と同じくガラス越しに醸造作業を眺めながら、併設のバルで自家製ワインと南イタリア料理を楽しめる。空港の到着口を降りたところで上を見上げると、ガラス張りの店がちょうど見えるそうで、旅の疲れを癒してくれるワインバルとして旅客たちの人気を集めている。
このような都市型ワイナリーは、狭い場所やビルの中でも開業できるというメリットがある。そのノウハウがある渋谷ワイナリーや深川ワイナリーには「都市型醸造所を作りたい」という相談がちょくちょく持ち込まれる。飲食店経営者が醸造所を併設したいケースや、商業ビルの中に醸造所を作りたいという相談もある。渋谷ワイナリーでは、実際にこうした相談に応じてプロデュース事業も行なっており、神戸、京都、博多などの繁華街のビルのなかで、協働してワイナリーを立ち上げ、醸造人も派遣しているとのことだ。
慌ただしい大都会の真ん中で、仕事帰りにふらりと寄って、醸造光景を眺めながらそこで作られたワインを飲む……。なんとも素敵なストーリーだ。こんな場所がどんどん増えていったら、ワインはより面白く、そしてより身近になることだろう。
プロフィール
Yuko Kibayashi 【樹林 ゆう子】
弟とユニットを組み、漫画原作を執筆。姉弟で亜樹直(あぎ・ただし)のペンネームを共有し、
2004年からワイン漫画「神の雫」を連載開始。
「神の雫」はフランスのほか韓国、台湾、アメリカなどでも翻訳され、翻訳版を含む発行部数は1200万部。
2009年、グルマン世界料理本大賞の最高位の賞「殿堂」を受賞。
2023年現在、ドラマ「神の雫/Drops of God」が世界配信され、各国で好評を博している。
【編集部より特報!】同ドラマは、膨大な作品数を誇るApple TV+(2019年にサービススタート)の過去全てのオリジナル番組中で、歴代ランキング・ナンバーワンを獲得!
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