『Wine百色Glass』 ”Glass10” 樹林ゆう子

大人の逸品エッセイ
2024.10.03
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 ワインは葡萄から作られる。葡萄がなくてはワインはできない。そりゃそうに決まっている……が、ワインは華やかでスタイリッシュなイメージをまとっているため、この酒が手間と時間と労働力に支えられた葡萄作りという「農業」に支えられていることを、ともすると忘れがちだ。

 しかしさまざまな醸造所を訪ね歩いていると「ワインは農作業あってこそ」という原点を、改めて感じさせられることがある。

 練馬区大泉学園町にある「東京ワイナリー」も、そのひとつ。ここは2014年に東京で初めて果実酒醸造免許を取得したワイナリーで、元は新聞販売店だったという70平方メートルほどの木造家屋を改造して作られている。うっかりすると通りすぎてしまいそうになるほど、住宅街に溶け込んで目立たないワイナリーである。

▲東京ワイナリーのエントランス

 私がここを訪れたのは9月上旬の、まさに収穫まっただ中の時だった。ワイナリーのオーナー兼醸造家の越後屋美和さんは、ワンルームマンションほどの広さの醸造所の中で、収穫した白葡萄シャルドネの出来ばえをチェックし、除梗作業を手早く行なっていた。越後屋さんの傍らには慣れた手つきで作業をしている男性がいて、てっきり醸造スタッフの方かと思ったところ「ボランティアでやってくれている区民の方なんです」という。
 男性は地元の有志で「ねりまワインプロジェクト」のメンバーのひとりなのだそうだ。ねりまワインプロジェクトとは、東京ワイナリーが中心となって、区内の農業従事者や飲食店などの協力を得て結成した“農活”組織。「ねりまワインファームメイト」と呼ばれるメンバーたちは葡萄畑でのあらゆる農作業から醸造にいたるまで、すべての作業に協力してくれるという。

 ちなみに醸造所の隣の部屋はワインが飲める小さなカフェになっており、この日は私以外に5人のお客さんがグラスワインとランチを楽しんでいた。実は彼らは全員ファームメイトで、越後屋さんが作業の休憩に入ると、入れ代わりに醸造所に入って行った。
「ねりまワインファームメイトのメンバーは練馬区以外の都民や、県外の方もたくさんいます。ワインを勉強したい方も多くいらして、総勢1000人にもなるんですよ」と、越後屋さん。
 1000人とは、驚くべき数である。それだけの人間がワイン作りに関われば、葡萄作りもおのずから手をかけることになり、ワインのクオリティも高くなる。美味しいワインは、大切に育てられた葡萄からしか生まれないのだ。
「東京の農家は土地が狭いだけに、みなさん手間隙かけて大事に野菜や果物を育てているんです。だから東京の農作物は都会のイメージと異なり、とても美味しいんですよ」。
 
 実は越後屋さんは大学の農学部を卒業後、大田市場で仲卸しの仕事に就いていた。その当時は東京産の野菜に特段の関心はなかったというが、ある時、練馬産のキャベツを初めて食べ、驚いた。
「このキャベツがものすごく甘くて、もうびっくりというか……。東京の野菜ってこんなに美味しいんだ、と刮目させられました」
 東京の農産物の可能性に目覚めた越後屋さんは、もともとワインが好きだったこともあって、山梨県で醸造学を学び、ワイナリーをスタートさせた。練馬区は都内でもっとも農業が盛んな自治体で、農地面積は23区全体の約4割を占める。東京産葡萄でワインを作るには、もってこいの場所だったかもしれない。

▲カフェに隣接した醸造所で作業する越後屋美和さん
▲土日限定でランチも。
この日のグラスワインは9種類だった。

 東京ワイナリーは現在、区内に自社畑2カ所と契約畑5カ所で葡萄を栽培している。看板キュベはこれら練馬の畑で採れた白葡萄のブレンドワイン「ねりまブラン」と赤葡萄ワイン「ねりまルージュ」だが、赤白合わせても650本程度しか作れないので、毎年、発売即売り切れになってしまう。なので東京ワイナリーでは国立市など練馬以外の東京各地、北海道や長野県の葡萄も使いつつ、ワインの品揃えを拡充している。

 越後屋さんが目指すのは「食事とともに味わう辛口ワイン」。私が訪問した際、ランチとともに飲んだ「国立ヤマソーヴィニヨン」もドライで野性的な酸味があり、食事によく合った。
「ひとりでワイナリーを立ち上げて今年で10年になりますが、ひとりだけではここまで続けられなかった。葡萄の剪定や収穫などの農作業や、葡萄を潰したり絞ったりする醸造作業も、たくさんの人に助けられながらやっています」(越後屋さん)

 東京ワイナリーは、ワインと農業を通じて、地域の人々のかけがえのない交流の場となっているようだ。

▲カフェ店内にあるワイン販売コーナー。
右手奥にキッチンもある。
▲東京ワイナリーの看板ワイン
ねりまブランとねりまルージュ

●「耕作放棄地」の活用から生まれた地ワイン

▲那須661ワインヒルズ全景
▲ワイナリー前の畑。
放置された別荘地を農地転用した。

 さて地方都市の農家に目を向けると、東京のように狭い畑と格闘する苦労はなさそうである。ところがこちらでは農家の高齢化などに起因する「耕作放棄地」が増えてきており、大きな問題となっている。統計を見ても、90年に21・ 7万haだった耕作放棄地は15年には42・ 3万haと、ほぼ倍増しているのだ。

 そしてこのところ、その耕作放棄地にメガソーラーが作られている光景が非常に目につく。栃木県の自然豊かな観光地、那須高原においても事情は同じで、この数年、道路の右にも左にも……という風に、昔畑だった場所に太陽光パネルが設置されてきている。ひとたびメガソーラーになったら元の農地に戻すことは難しいとわれる。このまま耕作放棄地が太陽光パネルに埋めつくされたら、自然の景観を損ねるだけでなく農業の衰退を一層促進してしまうのではないか……。そんな危機意識から、2年前、那須高原の農業復興を賭して開業されたのが「那須661ワインヒルズ」である。

 オーナーは長年にわたり地元でブルーベリー農家など、多くの事業を営んできた室井秀貴さん。「オールサステナブル」を標榜するこのワイナリーでは、耕作放棄地や放置された別荘地を畑に転用して葡萄を栽培し、廃業した酪農家の牛舎を改造して醸造所に、納屋を改造して作業所にと再利用している。なんと地元の別荘で不要になった家具まで引き取って、店のベンチとして再活用している。
 「ワイナリーの目の前の葡萄畑は、昭和の別荘ブームで売買された別荘地ですが、接道していないので、法律上、家が建てられない土地なんです。那須には同じ理由で放置されている別荘地がたくさんある。耕作放棄地だけでなく、こうした放置別荘地も葡萄畑に転用して、那須オリジナルのワインを作っていきます」
 那須661ワインヒルズが所有する畑は、なんと東京ドームの約20倍と、広大である。ここで那須オリジナルのワイン葡萄を作り続けていけば、いずれは地元の名産品のひとつになるに違いない。
「那須はワイン作りに適している。年間平均気温は11度と冷涼だし、昼夜の寒暖さも大きく、高原の風が畑を吹き抜けるので病害も起きにくい。ワイン産地としてのポテンシャルは高いですよ」と、室井さんは意気軒昂だ。

▲廃業した牛舎を改装した醸造所

 那須661ワインヒルズでは、山ぶどうとメルローを交配させたオリジナル品種「那須のしずく」を育てている。ワイナリーのお勧めは、この那須のしずくで作られた赤ワイン「MIZUKI」。そしてこれを一年樽熟成させたトップキュベが「神座」。どちらも試飲させてもらったが、濃厚なコクがあるがのど越しはよく、品のいい渋味があり、本格的な赤ワインらしい味だった。
 ちなみに自社農園のブルーベリーを100%使用したワインも試飲してみた。ブルーベリーのワインを飲むのは初めてだったが、なかなかイケるので驚いた。いわゆる甘い果物ジュース系のワインとは一線を画した、ドライで爽やかな酸味があり、リッチさも備わっていた。ちょっと感動したので、店内のショップで買って帰った。葡萄以外のワインを買うのは、実は初めての経験である。

▲旗艦ワインの「神座」と
ブルーベリーワインを熟成させた「岩座」
▲ロイヤルブルーベリーワイン。
バックビンテージも豊富。

 那須661ワインヒルズは、16種類のワインが楽しめる試飲コーナーが最大の売りだが、広い敷地を散策するも良し、葡萄畑を眺めながらデッキでワインを楽しむも良し。農業再生から生まれた多目的な観光スポットとして、かなりの賑わいを見せている。

▲ワイナリーのショップには所挟しとワイン、ブルーベリーグッズが。ワインの価格帯は2千円〜3千円台が多い。
▲店内にある試飲コーナー。
16〜18種類のワインが1100円で試飲できる

プロフィール

Yuko Kibayashi 【樹林 ゆう子】
 

弟とユニットを組み、漫画原作を執筆。姉弟で亜樹直(あぎ・ただし)のペンネームを共有し、
2004年からワイン漫画「神の雫」を連載開始。
「神の雫」はフランスのほか韓国、台湾、アメリカなどでも翻訳され、翻訳版を含む発行部数は1200万部。

2009年、グルマン世界料理本大賞の最高位の賞「殿堂」を受賞。
2023年現在、ドラマ「神の雫/Drops of God」が世界配信され、各国で好評を博している。

【編集部より特報!】同ドラマは、膨大な作品数を誇るApple TV+(2019年にサービススタート)の過去全てのオリジナル番組中で、歴代ランキング・ナンバーワンを獲得! 
日本ではHuluにて独占配信中! https://www.hulu.jp/static/drops-of-god/

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