プロフィール
Masaharu Nabata【名畑 政治】
1959年、東京生まれ。’80年代半ば、フリーランス・ライターとしてアウトドアの世界を
フィールドに取材活動を開始。
’90年代に入り、カメラ、時計、万年筆、ギター、ファッションなど、
自らの膨大な収集品をベースにその世界を探求。
著書に「オメガ・ブック」、「セイコー・ブック」、「ブライトリング・ブック」(いずれも徳間書店刊)、「カルティエ時計物語」(共著 小学館刊)などがある。
現在は時計専門ウェブマガジン「Gressive」編集長。
傑作朝ドラ「らんまん」の主人公
槙野万太郎が使っていたのはスイス軍用バッグだった
去る2023年9月29日の放送で、見事な大団円を迎えたNHKの朝ドラ「らんまん」。
その劇中で主人公・槙野万太郎が使っていたふたつのバッグは、実はどちらもスイス軍のアンティークなのである。ひとつはオールレザーのもの。これは万太郎が若いころに使っていた。わざと潰して使い古した感じを出していたが、これはスイス軍のショルダーバッグであり、その薄い構造から、本来は書類入れだったと思われる。
これを入手したのは十数年前。チューリヒの放出品店であった。
以前、ビクトリノックス・ジャパンのスイス人社長に教えてもらったその放出品店の山のような軍用衣類の中に無造作に置かれていた、このバッグ。見たところピカピカの新品だったから、「これはちょっと高いよ」と店のおばさんに言われ、そこそこの値段(まったく覚えていない)で買った記憶がある。
しかし実際は中を見ると、前の所有者が名前や住所を書いて、それをペイントで消した痕があった。結局、程度は良いが中古だったのだ。
ただ、程度とカッコは良いが中は45mm程度と薄く、革がカチカチなので財布とペンぐらいしか入らないから実用性はすこぶる低い。
そして、もうひとつのスイス軍バッグが、万太郎晩年の採集旅行で使われたキャンバスと革のコンビネーションのもの。
これは実際にはショルダーベルトのない、いわばハンドバッグだが、フロントのY字型バンドが特徴となっている。こちらは20数年前、大阪アメリカ村の放出品店で購入した。
それにしても、これは何を入れるバッグなのか? ウェブを検索して用途を調べたところ「MAGAZINTASCHE」との説明を見つけた。つまり銃弾を詰めた弾倉(マガジン)などを入れる「TASCHE(カバン)」らしい。
こちらは「らんまん」の最終回にも登場し、万太郎の肩に掛けられていたが、採取した植物を新聞に挟む「野柵」という器具に隠れてよく見えないのが残念だった。
これらのバッグは品質が群を抜いて素晴らしい。それもそのはず、これらの軍用バッグを製作したのは、主にスイス各地にあった馬具工房なのだ。素材は、いわゆる「サドルレザー」。渋(タンニン)で鞣した良質なカウハイド(成牛の革)を手縫いで仕上げた強固な作りに圧倒される。
また軍用品の多くがそうであるように、これらのバッグにも製造元と製造年の刻印がある。フルレザー・バッグの背面には「A.BRUKE SELLIERS GIVISIEZ 84」とある。「A.BRUKE」はメーカー、「SELLIERS」は「販売者」の意味、「GIVISIEZ(ジヴィジエ)」はスイス中央部にある町の名。最後の「84」は1984年製造という意味。かなりクラシカルだが意外にも、それほど古くないようだ。
ただ、これらふたつのバッグの刻印から検索しても、その詳細を知ることはできなかった。ところが、やはり私がスイスで入手した革の双眼鏡ケースでは、製造元を辿ることができた。
私が持っている双眼鏡のケースはふたつあり、やや大きさが異なっているから、倍率の違いでケース自体のサイズが異なったのだろう。その革ケースの小さいほうの底に「ALFRED HABLÜTZEL SCHAFFHAUSEN 18」という刻印がある。これをネット検索したところ「SCHAFFHAUSEN (シャフハウゼン)」の町の古い写真を紹介するサイトを発見。そこには「Alfred Hablützel Lederwaren」(アルフレッド・ハーブルッェル革製品)という説明付きで古い店舗の写真が掲載されていた。
この古い店の写真を良く見るとショーウィンドーの枠に「SATTLER(ザットラー)」とある。「ザットラー」とは、“革を手縫いで仕上げる馬具職人”のこと。つまり、この双眼鏡ケースは“1918年にシャフハウゼンにある革工房アルフレッド・ハーブルツェルにおいて手縫いで作られた”ということがわかる。ということで、この双眼鏡ケース、百年以上も昔に作られた意外にも古いものなのだ。
これほどまでのクォリティを誇り、1980年代あたりまで実際に使われていたスイス軍の革の装備品だが、ウェブで最近のスイス軍の演習風景などを見ると、さすがに革のケースやポーチは使っていない模様である。
それにしても、どうしてNHKは万太郎の持ち物にスイス軍のバッグを2個も採用したのだろう?
その真意は小道具担当者に聞いてみないとわからないが、できれば日本製の古い鞄を探し出してきて使わせてほしかった、と思うのである。
左手前が「らんまん」の主人公・槙野万太郎が若い頃、植物採集旅行の際に使っていたフルレザーのバッグ。右の奥は万太郎が晩年に使用していたキャンバスと革のコンビネーションのバッグ。どちらもスイス軍用というのにドラマを見ていて驚いた。なにせ両方持っているし。
フルレザー・バッグの背面に刻印されていた「A.BRUKE SELLIERS GIVISIEZ 84」という表記。ここからスイスのジヴィジエにある「A.BRUKE」が1984年に製造したものとわかる。
ペンキを塗って隠していたが、フルレザー・バッグの蓋の裏側には前の所有者が書いた名前と住所があった。ペンキはアルコールで拭いたら簡単に落ちました。
お店の看板に「ザットラー」と表記してあっただけあって、このレザー・バッグも手縫いで仕上げられている。厚さ3mmほどもある分厚くてカチカチの革を手縫いするのは、かなりの力技だろう。
キャンバスとレザーのマガジン・バッグには革と金属のループを使った、ちょっと変わった固定システムが採用されている。複雑な構造の金具を使っていないのでメインテナンスフリーで壊れる心配がない、ということか。
どちらもスイス軍用の双眼鏡ケース。手前のほうが微妙に小さく、倍率の違う双眼鏡をそれぞれ収納したと考えられる。小さいほうがシャフハウゼンの「革工房アルフレッド・ハーブルツェル」が1918年に製造。大きいほうはベルンの「W.シュルツェ」が1941年に製造したもののようだ。
双眼鏡ケースの底に打たれた刻印から、シャフハウゼンの「革工房アルフレッド・ハーブルツェル」が1918年に製造したものだということがわかる。
ネット検索で発見した「Alfred Hablützel Lederwaren(アルフレッド・ハーブルッェル革製品)」の古い店舗写真。
ちなみにシャフハウゼンはチューリヒのちょっと北にあるドイツ国境に近い町で、IWC(インターナショナル・ウォッチ・カンパニー)が本社工場を構えていることで時計ファンに知られている。残念ながら今、この場所は宝飾店になっていた。(Schaffhausen Nostalgie Homepageより)