人生100年時代というけれど、100歳になっても健康で人生を楽しめる人はほとんどいない。人間は「時」とともに生き、最後はその波に飲まれていく存在なのだ。しかしワインは、そんな「時の限界」を悠々と乗り越えることがある。例えば樹齢100年を超える古い葡萄樹から生まれるワイン。人間ならもはや何かを生み出す年齢ではないが、これら古木からは若木にはマネのできない複雑で、哲学的なワインが生まれたりする。
先日、京都のワイン愛好家・Mさん主宰のワイン会に出席した。Mさんのワイン会は、なかなか手に入らないレアものが中心でいつも楽しみにしているのだが、その席で私の隣に座っていたMさんが、こんなことを話しだした。
「樹林さん、僕が5年前、栓を抜いたワインを保存ガスも入れずに冷暗所に放置して観察してるって話をしたの、覚えてます?」
「ああ、覚えてますよ。栓を抜いてからどのくらいでヘタれるかの実験ですよね。結局、いつまで続けてたんですか?」
するとMさん、こう答えた。
「実はいまもまだ続けてるんですよ。あのワイン、5年経っても一向にヘタれないんです」
ええっ!?と思わず叫んでしまった。普通、ワインというものは一旦栓を抜いてしまえば、酸化が急速に進み、アルゴンガスなどで保存しても、半年以上はなかなか難しい。それが、保存ガスも使わずに「そのまま放置」で5年とは……そんな妖怪みたいなワインがこの世に存在するのだろうか?
「樹齢300年の葡萄樹からできたワインですから、そういう奇跡が起きてもおかしくないと思ってるんです」とMさん。この先も放置したまま、ちびりちびりと飲んでいき、何年後にヘタれるか観察を続けるつもりなのだそうだ。
このワインは、ヘラルド・メンデスというスペインの醸造家が作る白ワイン「アルバリーニョ・ド・フェレイロ・セパス・ベリャス」。ヘラルド氏の自宅近くに、先代が自家消費用としてワインを作っていた葡萄樹が植わっており「樹齢は推定250年超」と伝えられていたそうだ。今から50年前のことなので、この葡萄樹は現在300歳になっている。ド・フェレイロはその古木からわずかに取れる貴重な葡萄から作られているのである。
葡萄の樹の寿命は一般的には120歳くらいといわれているが、害虫の被害にあわず、気象条件がよければ、寿命を乗り越えて生き続ける。ある研究によれば100年超えの古木は、地下数十メートルにまで根を張り巡らせるらしい。そうして大地の奥深くにしか存在しない複雑な「滋味」を取り込んだ葡萄の実からは、えもいわれぬ多層的な味わいのワインが生まれる。だから、ワインの聖地フランスのブルゴーニュでは樹齢30年~40年以上の古木は、古い蔓を意味する「ヴィエイユ・ヴィーニュ」(Vieille Vignes=略してV.V.)とラベルに表記され、高値で取引されている。
Mさんからこの樹齢300年ワインの化け物ぶりを聞いてからフツフツと興味が沸き、さまざまな産地の「スーパー古木ワイン」を集めて飲んでみた。おもな産地はギリシャ、スペイン、イタリア、オーストラリアなどだ。フランスにも樹齢100年程度の古木はあるが、200年レベルの古木はほとんどない。それには理由があり、19世紀後半にヨーロッパ全土を襲った害虫フィロキセラ(葡萄根アブラムシ)によって、ほとんどの葡萄樹が枯れてしまったからだ。その後、アメリカからフィロキセラに耐性のある葡萄樹を輸入し、これを台木として「接ぎ木」をすることで、フランスの葡萄はようやく復活を果たした。一旦枯れているから、当然100年超えの古木はほとんどない。つまりスーパー古木は、フィロキセラの害をまぬがれた「自根」の葡萄樹に限られるわけだ。
写真の3つのワインは、私が最近試飲したもの。どれも150年から300年のスーパー古木から生まれている。
①はギリシャのサントリーニ島のアシルティコ種の白ワイン。サントリーニ島の土壌は砂地で強風に常にさらされているので、害虫がつかない。このワインは販売店が「数年は瓶熟成が必要です。飲み頃は2036年まで続きます」などと警告(?)しているだけに、とても固い。飲むにはまだ早かったのかもしれないが、強い酸味とミネラル、凝縮感があり、実にパワフルなワインだ。
②はイタリア、カンパーニャの赤ワインで、樹齢150年以上の自根アリアニコが使われている。タウラージの畑は標高が高いため、害虫がつきにくいという。これもまた非常に重量感のあるヘビー級ワインだが、口の中に広がる旨味がとてつもない。
そして③が、冒頭で紹介した「5年経ってもヘタれない」樹齢300年の白ワイン。Mさんから「抜栓しても半年は飲めませんよ」といわれていたが、全くその通り。グラスにいれてもガンとして動かない感じで、猛烈なミネラル感に圧倒される。さすがに5年は無理だが、私もこれはしばらく放置しておくことにした。
スーパー古木のワインはこのように強靱なパワーを持ったものが多く、実にエネルギッシュだ。やはり100年を超えて生き続ける個体は、神秘というか、並外れた生命力が宿っているのだろうか。 最近、お茶が趣味の方から聞いたのだが、お茶も100年超えの古木のものは、コクと香りが飛び抜けており、飲むと「トリップしてしまう」そうだ。古木の世界はまさにミステリー。今度はこの古木茶も飲んでみようと思っている。
プロフィール
Yuko Kibayashi 【樹林 ゆう子】
弟とユニットを組み、漫画原作を執筆。姉弟で亜樹直(あぎ・ただし)のペンネームを共有し、
2004年からワイン漫画「神の雫」を連載開始。
「神の雫」はフランスのほか韓国、台湾、アメリカなどでも翻訳され、翻訳版を含む発行部数は1200万部。
2009年、グルマン世界料理本大賞の最高位の賞「殿堂」を受賞。
2023年現在、ドラマ「神の雫/Drops of God」が世界配信され、各国で好評を博している。
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