『僕の好奇心日記』其の参 パステルの思い出は
ヒット曲とともに
松山 猛

大人の逸品エッセイ
2024.03.18
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 部屋の整理をしていたら、手に入れたまま、忘れていた画材が出てきた。
 

 ずいぶん以前に手に入れたはずの、そのフランス製コンテ社のパステル・セットを見て、久しぶりに絵を描いてみたくなったのだった。

 今は文章を書くことが僕の主な仕事となっているが、僕は子供のころから絵を描くことが好きだった。お小遣いをもらうと飴玉などは買わず、メモ帳を買ってはミッキーマウスや鉄腕アトムなどをせっせと描いていたものだ。

そんな僕に顔料を扱う商売をしていた父は、「自分は絵具を売る人生だったから、お前は絵具を使う仕事に就くと良いね。たとえば商業美術などは将来有望な仕事になるな」などとよく言ってくれていたものだった。
 

 父が亡くなった後も、その言葉を繰り返し思い出していた僕は、やがて美術科のある高校に進み、デッサンの時間の多い洋画科を選んだ。それは近い将来、父が言っていた商業美術の世界、今でいうグラフィックデザインの世界への第一歩と考えたからである。
 

 学生時代、油絵の絵の具は乾きが遅いので閉口したが、とにかく絵を描く毎日は楽しかった。

 それは昭和30年代の終わり頃の話だが、その頃ようやくイラストレーターという職業があることを知って、いつかそんな仕事に就くことが夢となったのだった。

 同級生の中には本格的な画家になるために、芸術大学を目指すものもいたが、僕は高校を出るとデザインスタジオに努めることを選んだ。

 
 そんな時代、初めての仕事だった、粉ミルクのパッケージの、赤ちゃんが微笑んでいるようなイラストレーションなどを、懸命に描いたのを思い出す。

 ちょうど時代はポップアートなどが流行し始めた頃で、ピーター・マックスというイラストレーターが一世を風靡した時代、僕は友人たちの“フォーク・クルセイダーズ”が、アマチュアとしては珍しかった私家版のレコードアルバムを出すというので、”HARENCHI”と名付けたそのレコードアルバムのデザインをすることになった。それは蛍光色のインクを3色使った、本格的なシルクスクリーン印刷の、アルバムジャケットとなった。

 そしてそのレコードの中の一曲『帰ってきたヨッパライ』が、思いがけずに大ヒットとなってしまったのだ。

 
 人生は時に、思いがけない展開を見せてくれるものかもしれない。

 

 絵を描くことはそれからも続いた。雑誌の世界や自分の書籍のために、様々な絵を描いてきたが、最近は写真を撮ることに熱中したせいか。あまり絵を描くことがなかったのだ。

 
 このパステルを鞄に入れて、どこか美しい景色の世界に出かけるか、それとも自宅の机の上で、空想の世界を描こうかと、今、楽しく思案をしているところ。

プロフィール

Takeshi Matsuyama【松山 猛】

作詞家 ライター 編集者

1946年京都市東山区に生まれる。

1964年京都市立日吉ヶ丘高校美術課程洋画科卒業。

1967年友人たちのフォークグループのために書いた『帰ってきたヨッパライ』が

日本発のミリオンセラーとなる。

1970年代からは雑誌の世界で、『anan』『4』『POPEYE』『BRUTUS』などを手掛ける。

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