ヴィクトリア朝の真っ只中、産業革命でロンドンの人口が急増した時代にシャーロック・ホームズの連載が始まった。それから100年以上たった今でも作者アーサー・コナン・ドイルの名声が、形を変えながら現代まで脈絡と引き継がれているのは驚きである。
シャーロック・ホームズには当時の流行が反映されており、登場する数々のインテリアを紐解くとトレンディドラマさながらのお洒落な生活を垣間見ることができるのである。
◆今も昔も、悩みは恋愛問題?
ホームズ物語は、長編4、短編56で合計60編が書かれている。その中でも短編小説として最初に発表された「ボヘミアの醜聞」が実に面白いのである。
このストーリーは、ホームズの依頼人である伯爵と女性とのスキャンダルを巡る話である。実はこの男性はボヘミア王であり、そこには、ホームズを出し抜いた唯一の女性、アイリーン・アドラーが登場するという人気作品である。
この中に興味深い描写を見つけたのでご紹介したい。
「(ホームズは)ほとんど口をきかず、だが優しい眼つきで、そこの肘掛椅子にかけろと手招きし、葉巻ケースを放り投げてよこし、部屋の隅にある酒瓶ケースや "ガソジン" のある場所を指さした」(『シャーロック・ホームズの冒険』2ページより)
ここに登場するガソジンとは、ソーダ水を作る装置のことであり、主人公のホームズが相棒のワトソンに炭酸水入りのお酒を勧めるシーンに出てくるアイテムの一つなのだ。
なんと!ヴィクトリア時代に英国人はすでにハイボールを飲んでいた。
◆ソーダ水製造機 “ガソジン” の構造
このガソジンの構造は、2つのガラス玉が上下に接続されており、下段には水を入れて、上段には炭酸水素ナトリウム(重曹)と酒石酸を入れる。中心にはガラスのチューブが通っており、サイフォンの原理で下から上に水が送られて、化学反応を起こし、炭酸(二酸化炭素、CO2)が発生するのである。
また、炭酸が過剰に発生して爆発することもあったようで、ガラスが飛び散らないように全体を籐(とう)で編み囲っている。なかなか繊細な作りをしている。
昨今、二酸化炭素は温暖化の原因として悪者扱いされることが多いが、ウィスキー愛好家にとっては味方となる。
ホームズがワトソンに提案したように、「ソーダ水入りのウィスキー」は、炭酸水の爽やかさとウィスキーの深い味わいが、完璧な組み合わせであり、エレガントな選択だったのだろう。
僕もこの物語の一場面を再現し、ヴィクトリア時代のガソジンで作った炭酸水を使ってウィスキーを楽しんでみたくなった。もちろん、お酒はアンティークボトルから注いで、英国御用達ロイヤルブライアリーのグラス片手にホームズ気分で囁いてみた。
「ワトソン君、肘掛椅子に座って、一緒にハイボールでも飲もうじゃないか?」
手間がかかるほど、いつものスコッチウィスキーが美味く、名探偵の世界に身を委ねることができる気がした。
プロフィール
Masaomi Dobashi【土橋 正臣】
英国アンティーク博物館 BAM 鎌倉館長。1966 年生まれ。長崎大学大学院修了。
外資系製薬会社の研究員を経て、2007 年 株式会社ファーマブリッジを設立。
また、大学院卒業後に初訪問したイギリスの文化に衝撃を受け、2012 年鎌倉アンティークスを設立。
英国アンティーク輸入やイギリス関連イベントのコーディネートを手掛ける。
日本一のロンドンタクシーコレクターとして、本物のブラックキャブを年代別に所有する。
また、2022年、長年の夢であった英国アンティーク博物館「BAM 鎌倉」をオープンさせる。
建築デザインは隈研吾氏が担当。
古き良きものを継承する啓蒙活動の一環として「No Antique No Life」を掲げて
次世代に向けてアンティークの素晴らしさを発信中である。