2007年から数年にわたり、朝日新聞社の「asahi・com」で『神の雫作者のノムリエ日記』というコラムを連載した。ノムリエ=ワインを飲む達人というような意味で、神の雫を連載する間に起きた出来事や出会った人々、飲んだワインの話などを徒然に書いたものである。先日、そのバックナンバーを読み直していたところ、2010年に「ユーロカーブの『飲みかけワインの保存グッズ』を6万円で購入した」と鼻高々に書いており、自分がやったことなのにビックリ仰天した。すっかり忘れていたが「そういえばそんなモノを喜んで使っていたっけなぁ」と、思わず苦笑した。
その保存グッズとは「ホームワインバー」という名の2本入り小型セラー。上部についたピストンを押し込むとガーッと空気が抜かれてボトル内が真空状態になり、ワインの酸化を防ぐという、なかなかの優れモノだ。ただピストン部分がしばしば動作不良を起こすのが欠点で、何度か修理に出したが、やがて使わなくなった。
思えば高い買い物だったが、その金額をつい出してしまうほどに「飲みかけのワインの保存」は悩ましい問題なのである。たとえば寝酒にグラス1杯だけ飲みたい時や、ワインの原稿を書くのに少し試飲したい時など、1本飲みきらないまでも栓を開けざるをえない場面というのは、ちょくちょくあるものだ。
だがワインはコルクを抜いてしまったら最後、空気に触れるほど酸化が進む。どんな高級ワインも、開けたら速やかに飲み切ってしまったほうがいい。渋くて重たいボルドーワインなどは、飲み頃になるまでに抜栓から1日かかる場合もあるが、それでも1週間以内に飲み切るほうがいいだろう。残して酸化(劣化)させてしまうのは、ワインを愛する者としてあまりにも残念だ。
ワインを本気で飲み始めた90年代後半は、酸化防止目的の機能的商品はほとんど売っておらず、私は飲みかけのワインをペリエの小さいガラス瓶に移し入れて蓋をきっちり締め、冷蔵庫で保存していた。今思えばこれも悪くない方法で、1週間くらいは問題なく保存できる。欠点はペリエの小瓶の330㎖分きっかりしか保存できず(隙間があると酸化する)、融通が利かないことである。
ペリエの瓶に限界を感じてから、しばらく愛用していたのはボトルに窒素ガスを注いで液面を覆い、ワインの酸化を防ぐ「プライベート・プリザーブ」だ。飲み残したボトルにノズルを差し込み、窒素ガスを注入すれば1週間は問題なく現状維持できる。これも悪くないのだが、私の経験からいうと2週間くらいを境に、急速に酸化が進む気がする。長期保存には、ややパワー不足なのだろう。
窒素ガスにも限界を感じて、一時期使っていたのが「フラヴァン」という高性能脱酸素剤付ワインストッパーだ。これは金属製のストッパーの先に、脱酸素剤をぶら下げるというシンプルにしてわかりやすい構造。これも1週間くらいは余裕で酸化を食い止めるが、問題は、ぶら下げた脱酸素剤がしばしば液面に落下してしまうこと。そうなると当然ながら、脱酸素効果はゼロになる。
結局、試行錯誤を重ねつつ、冒頭の「ホームワインバー」などいくつもの保存グッズを併用してきたのだが、ワイン業界にとってエポックメイキングな出来事が、2019年6月に起きた。不活性ガスの「アルゴン」が、食品添加物として、日本でも使用できるようになったのである。
空気中に多く含まれるアルゴンは、不活性な無臭・無害の気体で、従来使われてきた窒素ガスより重いため、ごく少量で効率的に酸素を遮断することができる。要は、酸化防止効果が窒素よりもはるかに強力なのである。欧米のワイン業界ではすでにアルゴンが活用されていたが、日本でも認可を境にアルゴンガスを使った保存グッズが急速に市場に出回り、その他の商品を駆逐していった。
アルゴンガスを使った保存グッズの最高峰は、世界中で愛用されている「コラヴァン」である。これはコルクを抜かずに細い針を差し込み、そこからアルゴンガスを吸入すると同時にボトルからワインを吸い上げてグラスに注ぐという、画期的商品だ。医療機器の開発者だったワイン愛好家が考案したそうだが、針を抜いたあとのコルクの穴は自然と塞がるので、横に寝かせることもできる。これを使えば一カ月どころか半年以上の保存も可能で、高級ワインをグラスで出すような店は例外なくコラヴァンを活用している。
欠点はサプライ用品が高いことだ。本体は3万円~7万円で、一度買えばずっと使えるが、アルゴンガスの替え玉は1個1600円するし、何より針が1本5千円程度と高い。しかもよく折れる。神の雫の原作を一緒に書いている弟は、固いコルクなどでよく針を折っており「また買わなきゃ。高すぎるだろ針。」と嘆いている。
まあ、こうしたプロ仕様の道具を使わなくても、私としては「アルゴン・ワインセーブ・プロ」という、ノズルでアルゴンガスを注入する酸化防止グッズで十分だと思う。窒素を注入するプライベート・プリザーブよりはるかに酸化防止効果が高く、2週間やそこらは開けた日の状態をキープできる。ネットでも手軽に買えて、お値段およそ4000円。うまくやれば30回程は使用できるし、ワインを無駄にすることを思えば決して高くはない。
ちなみにこのアルゴン・ワインセーブ、裏ワザをお教えすると、食品にも使える。例えば瓶入りの鮭フレークを開けてシュッとひと吹き注入しておくと、驚くほど味が変わらない。ワインだけでなくビン入りのさまざまな食材を「酸化防止」できるわけだ。
ワインの保存だけでなく食品の「延命」にも役に立つ無双のアルゴン、一家に一本置いておいて損はないアイテムといえるだろう。
プロフィール
Yuko Kibayashi 【樹林 ゆう子】
弟とユニットを組み、漫画原作を執筆。姉弟で亜樹直(あぎ・ただし)のペンネームを共有し、
2004年からワイン漫画「神の雫」を連載開始。
「神の雫」はフランスのほか韓国、台湾、アメリカなどでも翻訳され、翻訳版を含む発行部数は1200万部。
2009年、グルマン世界料理本大賞の最高位の賞「殿堂」を受賞。
2023年現在、ドラマ「神の雫/Drops of God」が世界配信され、各国で好評を博している。
【編集部より特報!】同ドラマは、膨大な作品数を誇るApple TV+(2019年にサービススタート)の過去全てのオリジナル番組中で、歴代ランキング・ナンバーワンを獲得!
日本ではHuluにて独占配信中! https://www.hulu.jp/static/drops-of-god/