英国アンティーク博物館BAM鎌倉には、一見すると単なる靴の木型に過ぎない「土橋コレクション」が展示されている。しかし、これはただの木型ではなく、英国靴作りの悠久の歴史を刻んだジョンロブから寄贈された100ペアの靴の木型「ラスト」なのだ。このコレクションは、靴の展示を超えた文化と歴史の貴重な交差点となっている。
◆ジョン・ロブの歴史
靴職人の王と称されるジョン・ロブ(John Lobb)の歴史は、ヴィクトリア時代に遡る。ジョン・ロブは、イギリスの南に位置するコーンウォールにて農夫の息子として1829年に生まれた。十代の頃、彼は靴職人の見習いとしてロンドンに向かった。その後、ゴールドラッシュの時代にオーストラリアに渡り、鉱夫たちのために金塊を保管できるようヒールが空洞になったブーツを作成したのである。それが成功して、1849年にジョンロブの名をつけた会社を設立したのである。その勢いに乗り、1866年にロンドンに戻ったジョン・ロブは、リージェントストリートに初のビスポークの店をオープンした。
◆世界最高峰と称される靴の木型「ラスト」
ジョンロブの靴の木型は、ジョンロブ・ロンドンの地下室に大切に保管されている。ここには、それぞれの靴型が細心の注意を払って収められ、その台帳には顧客の情報が歴史として記録され、その靴がどのような背景を持っているかが記され、このアーカイブ自体が貴重なアンティークである。
つまり、各木型は単なる靴作りの道具ではなく、ジョンロブの長い歴史の中でさまざまな時代、人々、文化を反映しており、その製作過程に秘められた職人技と芸術性を示している。
◆ヴィクトリア女王からセレブまで
ジョンロブは、英国王やダイアナ妃、フランク・シナトラなど多くのセレブや著名人に愛されてきた。ヴィクトリア女王のラストは、ジョンロブ・ロンドンのグランドフロアに展示されている。女王の身長が145cm(5フィート以下)と小柄であったことから、木型は小ぶりであるが、黒光りして時を経たパティナ(古艶)を発している。
また、一般公開されていない工房のある地下室を特別に見学することができた。その際にロブのマネージャーがダイアナ妃のラストを指さして、「是非、持ってみてください。」と促され、僕は緊張しながら手にとった。その瞬間、ずっしりと重く、力強い感触が伝わってきた。身長が178cm(5フィート10インチ)という大柄であったからだけではなく、その中に彼女のもつ信念の強さが秘められていたからそう感じたのではないだろうか。ラストは所有者の性格まで表すのだろうか。
◆ビスポークへの拘り
ジョンロブがエルメスの傘下に入り、既製品の販売に力を入れつつも、ロンドンでは、ビスポークを通してその独自性を保ち続けている。ご存知のようにビスポークとは、「be-spoken」からできた言葉であり、人と人との対話で最高のモノを作り上げることである。
昔ながらの職人技を大切にして、顧客一人ひとりの足を丁寧に採寸し、完璧なフィット感を追求するために木型を作成し、一足一足を手作業で丁寧に仕上げる。
顧客の個性やスタイル、生活様式に合わせて完全にカスタマイズできるビスポークサービスこそが、ジョンロブが靴作りにおいて最も重要視している要素の一つである。
◆3つのロイヤルワラント(英国王室御用達)
ジョンロブは、ロイヤルワラント(英国王室御用達)を授かっているイギリスを代表する名門シューズブランドであり、その卓越した品質と歴史が認められている。
かつては、3つのロイヤルワラント(エリザベス女王、エジンバラ公、チャールズ皇太子)を有していたが、現在はチャールズ3世のロイヤルワラントのみ保持している。ワラントの数が減るということは少し寂しい気持ちもするが、靴底に光るこの貴重な英国御用達の認証マークの刻印は、ジョンロブの靴の品質とその歴史的重要性を証明している。
今回、ジョンロブ・ロンドンの地下室で見た職人の姿やラストの山は、モノ作りの根底にある情熱を考え、世代を超えて伝えることの大切さを再認識する機会になった。これこそ、“ヒトを引き継ぎ、モノを引き継ぐ“というアンティークの真髄である。
ジョンロブの靴は、一足あたり7000ポンド(約120万円、2023年12月現在)以上という高価格である。しかし、その品質と耐久性から30年以上の使用が可能であり、メンテナンスさえすれば、一生使えるということである。
いつかジョンロブの歴史に自分の一足を加えてみたいものだ。
ロンドンで見つけたモノを引き継ぐストーリー
英国アンティーク探しの旅は続く。
No Antique No Life
土橋正臣
プロフィール
Masaomi Dobashi【土橋 正臣】
英国アンティーク博物館 BAM 鎌倉館長。1966 年生まれ。長崎大学大学院修了。
外資系製薬会社の研究員を経て、2007 年 株式会社ファーマブリッジを設立。
また、大学院卒業後に初訪問したイギリスの文化に衝撃を受け、2012 年鎌倉アンティークスを設立。
英国アンティーク輸入やイギリス関連イベントのコーディネートを手掛ける。
日本一のロンドンタクシーコレクターとして、本物のブラックキャブを年代別に所有する。
また、2022年、長年の夢であった英国アンティーク博物館「BAM 鎌倉」をオープンさせる。
建築デザインは隈研吾氏が担当。
古き良きものを継承する啓蒙活動の一環として「No Antique No Life」を掲げて
次世代に向けてアンティークの素晴らしさを発信中である。