プロフィール
Kazutoshi Otani【大谷 和利】
テクノロジーライター、Gマーク パートナーショップ AssistOn取締役。
スティーブ・ジョブズ、ビル・ ゲイツ、スティーブ・ウォズニアックのインタビュー記事をはじめ、
IT、カメラ、写真、デザイン、自転車分野の文筆活動や、製品開発のアドバイスを行う。
最新著書「ルンバをつくった男 コリン・アングル『共創力』」(小学館)
他の主な著書・共著書に『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネスブック)、『インテル中興の祖 アンディ・グローブの世界』(同文舘出版)。
主な訳書として『Apple Design 日本語版』(アクシスパブリッシング)、
『スティーブ・ジョブズの再臨』(毎日コミュニケーションズ[現・マイナビ])など。
モノにこだわり、仕事も人生も楽しむ。そんな理想的な日々を送っている世界的企業のリーダーが、アイロボット社のCEOで、ロボット掃除機の代名詞ルンバの創造主でもある、コリン・アングル氏だ。筆者は、コリン氏に密着取材して「ルンバを作った男 コリン・アングル「共創力」(https://www.shogakukan.co.jp/books/09388790)を上梓したが、社員からも「アプローチャブル(気さくで話しやすい)」と慕われる人柄に、30年以上に亘って同社を率いてきた秘密があると感じた。
この短期連載では、書籍に収録できなかったエピソードも含めて、コリン氏の素顔を紹介していく
人生の礎は家庭教育にあり
いささか説教めくが、デジタル機器が浸透し、今また生成AI技術が普及しつつある世界において、筆者は家庭教育の重要性が今まで以上に高まっていると感じる。スマートフォンを子守り代わりに使わせれば、子どもは食事中も旅行中も、その画面が気になって仕方なくなる。そのことがよくわかっていたAppleの共同創立者で元CEOの故スティーブ・ジョブズ氏は、自分の息子や娘が一定の年齢になるまで、iPhoneに触れさせなかった。これからデジタルネイティブならぬAIネイティブ世代として育つ子どもたちに対しても、家庭教育の段階から、適切なAIリテラシーを持たせることが大切だ。
1967年生まれのコリン・アングル氏の子ども時代には、もちろんAIもスマートフォンもなく、パーソナルコンピュータですら一般には普及していなかったが、もしあったとしても、母親はそれに子育てを任せるようなことはしなかっただろう。コリン氏は、幼い頃には息子の創造性を伸ばすことを心がけた母親の元で育ち、のちに離婚した母親が再婚してからは、新しいエンジニアの父親や義理の兄弟たちとのボードゲームや食事どきのディスカッションを通じて、自分以外の人たちと協力したり、意見を交換することを学んだ。そして、幼少期から知らぬ間にその後の人生の礎を築くことになる日々を送っていたのである。
その最たるエピソードが、わずか3歳で自宅のトイレを直したというものだ。ある日、自宅のトイレの水が流れなくなったことに気づいた母親が、修理のサービスを呼ぼうとしたとき、まだ幼いコリン氏は、自分で直してみたいといい始めた。以前に読んでもらった、ものの仕組みをイラスト入りで説明した絵本に、トイレの水タンクの構造が描かれていたことを思い出したのだ。
まだ3歳なので、さすがの母親も躊躇したものの、そんなに言うならとさせてみることにした。
そして、その絵本の該当箇所を母親に読んでもらいながらコリン氏がタンクの中を覗くと、水を流すためのバルブにつながるチェーンが外れていることに気がついた。そこで、それを元のようにつなぎ直すことで、無事に修理に成功したのである。
ここからわかるのは、コリン氏が子ども時代から観察力に優れ、論理的に物事を考えることに長けていたという事実だ。しかし、ここでもし母親が、3歳児に直せるわけがないと考え、かえって水浸しになったりすることを恐れて、彼に修理を許さなかったとしたら、アイロボットもルンバも存在していなかったかもしれない。そう考えると、子に対する親の接し方が、いかに大切かがわかろうというものだ。
よく考え、学び、遊べ
また、母親はコリン氏とその兄弟を相手に、モノポリーで遊ぶことが好きだった。不動産を買い占めて、他のプレーヤー全員を倒産に追い込むことができれば勝ちというゲームである。そんなモノポリーで、母親は子ども相手だからと手加減することなく、全力で勝ちに来る。そのためコリン氏と兄弟は一計を案じて協力し合い、まず母親を倒産に追い込んでから自分たちの勝負をつけるという戦略を編み出した。これも振り返ってみれば、社会に出てからの心得を小さなうちから身につけさせるための、母親の策略であったようだ。
そんな環境で育ったコリン氏がお気に入りのオモチャは、「フィッシャーテクニック」、「エレクター」、「レゴ」の3つだった。どれも、与えられたものをそのまま使って遊ぶのではなく、自分で考えた何かを工夫して作ることが基本になっている製品ばかりだ。
スター・ウォーズの大ファンでもあった彼は、ある日、空になったミルクのコップをキッチンまで持ってくるように母親から頼まれたときに、R2‐D2やC‐3POのようなロボットがいれば、自分の代わりに運んでもらえるのにと考えた。ところが、どうすればあのような万能ロボットを作れるのかがわからない。
しかし、すぐに「コップを運ぶ」という目的に特化したロボットであれば、人型である必要がなく、もっと簡単で適したやり方があるはずだと気づいた。そして、その週末、部屋にこもって先の3つのオモチャを使ったロボット作りに熱中し、コップを持ち上げてロープウェイのように運ぶメカニズムを完成させたのである。
その後、小・中・高校と順調に進んだコリン氏は、聡明で好奇心が強く、勉強も良くできる生徒だった。だが、決してガリ勉タイプではなく、それどころか、スポーツやアウトドア活動も大好きで、キャンプにもよく出かけたという。
頭でっかちにならないように身体も動かしてバランスの取れた生活を心がけてきたことも、コリン氏が柔軟な発想をもって技術開発や企業経営にあたるうえでプラスに働いているように思われる。
モノ作りも組織作りも根は同じ
スポーツの中でも、コリン氏が夢中になったのは、フリスビーに代表されるフライングディスクを使って行うアルティメットと呼ばれる競技だった。実は筆者も小学5年生のときからフリスビーに親しみ、米軍横須賀基地の市民開放日に海兵隊チームとアルティメット競技で戦ったり、アメリカ留学時代には中部8州の大学スポーツ大会にフライングディスク枠の代表として出場したことがあった。
コリン氏によれば、別のインタビューなどでこの話をしても、相手がピンとこないことが多いとのことだったが、筆者にはそういう背景があったため、アルティメット競技の話題では2人で大いに盛り上がった。
話を戻すと、コリン氏はよく兄と一緒に公園でフリスビーを投げ合って時間を過ごしたのだが、ふと自分たちの地域にアルティメット競技のリーグがないことに気づき、自分たちで組織しようと思いついた。そこで、アルティメット競技をしている人たちを見つけると連作先を聞き、仲間作りを行っていった。しかし、当初は参加を迷う人たちもいて、週に30本から40本もの電話をかけまくって説得にあたったのだという。
コリン氏は、兄が電話で人々を説得するテクニックを注意深く観察して、そのやり方を自分でも採り入れていく中で、人々に影響を与えるための方法を学ぶことができたと語る。つまり、アルティメット競技のリーグ作りが、パートナーシップを確立する訓練にもなったというわけだ。そして、組織を構成して運営していくこともモノ作りと同じように興味深いことを、このときに知った。さらに、こうした経験や、母親とのモノポリーの勝負から得た教訓は、アイロボットの設立当初の資金確保のために協力してもらえる企業や投資家を探し説得するうえで、大いに役立っていくことになったのである。
★次回は、起業直後から30年以上に渡ってCEOであり続けるという、アメリカ企業では稀有なリーダーとなったコリン氏の秘密に迫ります。