「アプローチャブル」なルンバの創造主 アイロボットCEO、コリン・アングル氏の素顔 第二回 30年以上もCEOを務めた稀有なリーダー 大谷和利

休日インタビュー
2024.02.10
  • Facebook
  • Twitter
  • LINE

 モノにこだわり、仕事も人生も楽しむ。そんな理想的な日々を送っている世界的企業のリーダー、アイロボット社のCEO、コリン・アングル氏の素顔を紹介するこの短期連載。コリン氏に密着取材した「ルンバを作った男 コリン・アングル「共創力」(https://www.shogakukan.co.jp/books/09388790)では紹介しきれなかったエピソードにも触れるシリーズの第二回は、経営状況次第でCEOが次々に交代することも多いアメリカのビジネス界で、30年以上もアイロボット社のリーダーとして活躍してきたコリン氏の秘密に迫っていく。

(注:この記事は202312月に執筆されたものです。2023年には、自社の製品ラインの充実を考えるアマゾンが開発資金力の強化を計画するアイロボット社を買収して、コリン氏のリーダーシップの下で新たな展開が予定されていました。ところが、2024年の1月末になってEUの競争法当局が市場独占の恐れからこれを承認しない決定を下したため、両社は契約を白紙化。アマゾンはアイロボット社に対して9400万ドルの契約解除金を支払うことになり、コリン氏も責任を取ってCEOを辞任されました。それでも、しかしながら、氏が人類にとって大きな意味を持つ発明を行い、家庭用ロボットの1ジャンルを築き上げたことに変わりはありません。本コラムの執筆者並びに小学館百貨店は、今後もコリン氏とアイロボット社に変わらぬリスペクトをもってその業績を読者に伝えていくために、本記事を掲載いたします)


 

自分の哲学を持ち物事を楽観的に捉える


 

 過去に誰も思いつかなかったか、思いついても「どうせ実現できないだろう」と諦められたアイデアを実行しようとすれば、当然のように周囲の理解を得られないことが多々ある。特に、そのアイデアに基づいて会社を作ったり、製品を開発したり、運営していくための資金を集めようとするならば、なおさらだ。
 

 30年も前にロボットメーカーであるアイロボット社を仲間と一緒に起業したコリン氏も、まさに同じような目に遭った。しかし、モノポリーやアルティメット競技のコミュニティー作りを通じて、一人勝ちではなく他者との共創によって目的を達成する術を学んだ経験から、提携や協業を重視し、互いにウィン・ウィンになれる関係を築くビジネス戦略を自社の基本としたことで、成長のきっかけを掴むことになっていった。

 その際に、彼が最も重視したのは「自分なりの哲学を持つ」ということだ。実際の社会では、何かを決めたり実行しようとするときには、様々な考え方を持った人たちが、その決定に影響を与えようとしてくる。多様性を尊重すればその傾向も強まり、すべての人が満足あるいは反対するような絶対的な善や悪が存在しなくなることは、今の世界情勢を見ても明らかだ。

 色々な意見に耳を傾けることも大切だが、最終的な判断を下すのは自分自身である。自らが正しいと思える行いや振る舞いをするために求められるものが哲学であり、それは多くの経験を積む中で身についてくるとコリン氏は考えている。

 また彼は、物事を楽観的に捉えることも、革新的な企業のリーダーには必要だという。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」とは芥川賞作家の井上靖の言葉だが、コリン氏も、何かを始める前に、やるべきでない理由ばかりを挙げて尻込みするような悲観的な人間は、ある意味で臆病者であり、楽な道を選ぼうとしているように感じると話す。

 筆者も好きな言葉の1つに、パーソナルコンピューターの父と呼ばれるコンピューター科学者でジャズミュージシャン(!)のアラン・ケイによる「未来を予測する最も良い方法は、それをつくり出してしまうこと」というものがあるが、コリン氏のモットーも、進もうとする道を阻む問題があるなら、それを解決するためのソリューションを自ら作り出すことで乗り越えるということなのだ。

 そんなコリン氏が大好きなツールは、ホワイトボードである。大きな問題に直面するとホワイトボードに向かい、実行できそうな小さなステップに分けて書き出していく。それが問題解決のための第一歩であり、それらのステップを積み重ねていくことが答えに辿り着く方法であると信じているのである。

変化を受け入れて自らを常に進化させる
 

 コリン氏は、とても柔軟な考え方ができる人であり、また、自ら行動して、その先々で遭遇する出来事を自分の糧として活かすことにも長けている。

 実は、MITことマサチューセッツ工科大学に入学したのちに、漠然と描いていたロボット開発への夢を共に実現していくことになる教授との出会いも偶然だった。それは4年生になる直前の夏のこと。あるクラスに向かう途中で大学の友愛サークルの仲間から声をかけられ、ロボットラボを主宰するロドニー・ブルックス教授の研究員に応募するというので、コリン氏もその場で予定を変更して一緒について行ったのだ。
 

 定員3人のところに80名もの学生が応募してきたそのラボでは、面接代わりに、今まで自分が作ってきたものを書き出したリストを作るという課題が与えられた。20分も経つと、ほとんどの学生は書き終えて用紙を提出したが、コリン氏のリストは60分経っても終わらないほど膨大だった。そのおかげで、彼はめでたく研究員に採用され、本格的なロボット開発に取り組み始めたのだった。

 ロドニー教授は、アーティフィシャル・インセクツ(人工昆虫)の頭文字をとったAIラボも指導しており、コリン氏は、そこで昆虫ロボットを作ることに夢中になった。人型のスーパーヒューマンのようなロボットの開発にはスーパーコンピュータ並みの頭脳が必要だが、昆虫は比較的単純な脳で複雑な動作をこなすことができる。その点に着目したロドニー教授が、条件反射のようなルールを組み込むことでマイコン程度の処理能力があれば周囲の状況に応じて移動できる「包摂アーキテクチャ」を考案し、それに基づいて6本足の昆虫のようなロボット「ジンギス」をコリン氏と共に作り上げていったのだ。
 

 スミソニアン博物館群の中の国立航空宇宙博物館で10年にわたり展示されることとなったこの「ジンギス」がきっかけとなり、2人はもう1人、MIT出身の優秀な機械工学エンジニアのヘレン・グレイナーと共に、アイロボット社を1990年に設立することになる。当初は年長のロドニー教授がCEOに就任したが、根っからの研究者である教授はすぐに企業のトップには向かないことがわかり、設立5日目にしてコリン氏がCEOを引き継いだ。以来、30年以上にわたって彼がCEOであり続けているのである。

 その秘密は、コリン氏が、組織作りもモノ作りと同じようにクリエイティブなものだと考えていることや、自分の役割を固定的に捉えることなく、時代や会社の状況に応じて臨機応変に変えてきたことにある。そのため、彼は自ら「私のCEOとしての仕事は6ヶ月ごとに変わる」とまでいうほどなのだ。
 

 たとえば、初期の頃にはCEOである彼もエンジニアとして製品開発を直接指揮していたが、自分よりも優秀なエンジニアが入社してくれば、その役割を潔く譲り、会社にとって次に必要となることを探して注力していく。あるいは、エンジニアとして学ぶ機会がなかったサプライチェーンや顧客サービス、マーケティングに関しても、自ら前向きに取り組むことで、より俯瞰的に会社経営が行えるようにしたり、2018年からアメリカと中国との間の貿易摩擦が深刻化したときには、アメリカ政府の中枢が集まるワシントンD.C.に直接出向いて情報収集に努め、自社に影響のある関税アップや政治的措置の問題を1つずつ解消してきたのだった。

▲2本の前足をサーボモーターで制御し、胴体を引きずるようにして移動するMIT時代の試作ロボット
▲単純な脳しか持たない昆虫の動きの観察から生まれた「包摂アーキテクチャ」に基づき、ロドニー教授との共同作業から生まれた「ジンギス」を手にするコリン氏

▲執務室に立てかけられていたアンティークの手動式真空掃除機(1900年ごろのJaeger Jr. Vacuum Cleaner)
▲宇宙探査用ロボットを構想したこともあったと、コンセプトイメージを指さすコリン氏

日本からも大いに学ぶ
 

 アイロボット社は、広くロボット掃除機ルンバのメーカーとして知られているが、設立してすぐにそのようなコンシューマー製品の会社として確立できたわけではなかった。ロボット開発には莫大なコストがかかり、価格も高額になることから、しばらくは地雷撤去などの平和利用のための国防関連や災害救助用のロボットなど、BtoB向けの製品を中心に展開していた時期があり、実は、福島の原発事故の際にも、原子炉建屋内の探索のために、自衛隊関係者からの要請に応じて、無償で「パックボット」というアーム付きの作業ロボットを提供し、50万ドル(約7100万円)もの寄付を行っている。

 このパックボットは、2002年にルンバが発売されてからも6年間にわたってアイロボット社の収益を支えたロボットであり、パックボットで得た利益のほとんどがルンバのビジネスを確立するための投資に回された。しかし、ルンバが軌道に乗ったことでコリン氏は大きな決断をして、国防関連のビジネスを売却し、アイロボット社を完全なコンシューマー企業へと生まれ変わらせた経緯がある。
 

 ルンバの事業を拡大するにあたってコリン氏が考えたことは、製品の品質や性能の向上と世界進出だった。そして、彼は世界一厳しいともいわれる日本市場に挑戦することを決め、初めて市場調査を兼ねて来日するのだが、そのときの驚きをこう表現した。「品質に関する期待値の大きさは、おそらく世界一だと思いました。日本市場で成功をつかむために求められる品質の重要性を理解するだけでも、私たちにとっては文化的なチャレンジでした。たとえば、塗装面に少しのムラがあっても買ってもらえません。パッケージに傷があるだけで敬遠されます。さらに、パッケージを収めた配送用の外箱に凹みがあるだけでも問題となるのです。そのため、日本向けには配送用の箱をさらに保護する箱まで用意して出荷を始めたほどでした。」

 その甲斐あってルンバの製品としての完成度も高まり、今でも日本からのフィードバックは新機能の追加や使いやすさの向上に大きな役割を果たしている。

 アイロボット社は、最近になって新発想の空気清浄機も発売したことからもわかるように、ロボット掃除機だけの会社ではない。コリン氏の目標は、家全体がロボットのように機能し、しかも、その存在を感じさせることのないスマートホームの実現にある。これまでの30年は、そのための準備期間だったともいえ、彼の後を継ぐ人たちも、この先10年、20年にわたるロードマップまで視野に入れて、アイロボット社と家庭用ロボットを進化させていくことだろう。

▲コリン氏の執務室の壁面を覆う歴代ロボットの写真たち。ロボット掃除機以外にも様々なロボットが製造あるいは試作されてきたことがわかる
▲自社製品を支える数多くの特許に関する書類の一部がディスプレイされた社屋内の壁
 

(次の最終回では、アイロボット社での仕事と付かず離れずの関係にあったコリン氏の個人的なコレクションや愛車のハイブリッドスポーツカーの話題を紹介します)

▲2010年12月30日に、ルンバの累計台数が300万台に達したことを記念して作られた大理石のルンバ

プロフィール

Kazutoshi Otani【大谷 和利】


テクノロジーライター、Gマーク パートナーショップ AssistOn取締役。

スティーブ・ジョブズ、ビル・ ゲイツ、スティーブ・ウォズニアックのインタビュー記事をはじめ、
IT、カメラ、写真、デザイン、自転車分野の文筆活動や、製品開発のアドバイスを行う。

最新著書「ルンバをつくった男 コリン・アングル『共創力』」(小学館)

他の主な著書・共著書に『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネスブック)、『インテル中興の祖 アンディ・グローブの世界』(同文舘出版)。

主な訳書として『Apple Design 日本語版』(アクシスパブリッシング)、
『スティーブ・ジョブズの再臨』(毎日コミュニケーションズ[現・マイナビ])など。

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE