今年でSEIKOの名を冠した
腕時計を発売して100年を迎えた
世界の時計業界を牽引するSEIKOブランド
時計ブランドとして世界でもトップクラスのシェアを誇る同社は、創業者の服部金太郎氏は時計店に勤めながら開業資金を準備し、1892年には現在の東京・墨田区に工場を設立し、掛け時計の製作を開始した。この工場は「精巧な時計の生産に成功する」との思いで、「精工舎」と名付けられ、そのポリシーは現在も受け継がれている。
服部 金太郎Kintaro Hattori
セイコーの創業者である服部金太郎氏は、江戸京橋の古物商の長男として1860年に誕生。「常に時代の一歩先を行く」を信条として、日本が世界に誇る時計ブランドの礎を築いた。
1913年には服部氏の「腕時計の時代が必ずくる」という先見の明により、国産初の腕時計「ローレル」が完成。日本を牽引する時計工場として、世界にその名が広まっていくが、1923年9月1日、服部氏は大きな試練に見舞われることとなる。関東大震災による、工場の全焼である。このとき、時計店と自邸も燃えてしまった服部氏だが、不屈の闘志で復興を志し、同年11月20日には時計店の営業を再開。修理のために顧客から預かって焼失してしまった約1,500個の時計は、「顧客には迷惑をかけられない」という姿勢から、これを同程度の新品で補償し、顧客からさらなる信頼を得ることとなった。
震災で甚大な被害を受けた1年後となる1924年、服部時計店が発表した新しい腕時計。このモデルは当初「GLORY」と名付けられる予定だったが、服部氏はこれをSEIKOに変更する。精工舎設立時の原点に立ちかえるとともに、広く世界に向けた時計づくりの姿勢の宣言として、SEIKOブランドの始まりを告げる一本であった。
SEIKOの由来
SEIKOブランドの初代となったモデル。震災前はさまざまな名称の腕時計を販売していたが、このモデル以降はSEIKOに統一した。時計の製造設備、工程も近代化されSEIKOブランドの躍進に繋がった。初代時計塔
服部氏は1894年に、銀座4丁目(現在のSEIKOHOUSE)の新聞社社屋を買収。服部時計店の新店舗として増改築し、銀座の街に時を告げる初代時計塔を完成させ、銀座の往来をゆく多くの人々に親しまれた。
時計を作り、文化をつくった
SEIKOの100年物語
1929年に懐中時計「セイコーシャ」が国産初の鉄道時計に指定され、1964年には国産初のクロノグラフ「クラウン クロノグラフ」を発売。さらに1965年には時計の大敵である水分の浸入を解決した「国産初のダイバーズウオッチ」を発表し、そしてついに1969年には、時計界に革命をもたらす世界初のクオーツ腕時計「クオーツ アストロン」を発売し、人類の時間はより細分化されて制御されることとなった。
この4つのマスターピースは、100年の歴史の中でさらに進化。その継承モデルたちは、最新のテクノロジーを搭載して、今も時計界に革命を起こし続けている。
1929国産初の鉄道時計
世界に誇る日本の鉄道網の正確さは、運転士が必携していた鉄道時計が一役買っていた。日本の鉄道会社は海外の懐中時計を使っていたが、1929年に鉄道省がセイコーの懐中時計「セイコーシャ」を鉄道時計に指定。これが国産初の鉄道時計となった。1964国産初のクロノグラフ
戦後の高度経済成長の只中にあった1964年に、4年に1度の世界的なスポーツ大会が東京で開催されることが決定。この歴史的なスポーツ大会開催に合わせてセイコーが発売したのが「クラウン クロノグラフ」だ。積算計を持たないシンプルな設計ながら、ボタンの押しやすさやベゼルの見やすさなど、ストップウオッチとしての機能がデザインにも反映され、国産初のクロノグラフとして人気を博した。1965国産初のダイバーズ
ウォッチ
1969世界初のクオーツ腕時計
セイコーはゼンマイの代わりに電池を使い、水晶振動子が発する電子的振動によって時計の精度を制御するクオーツ式が、従来の機械式に比べて格段に精度を向上させることに着目。しかしクオーツ式は心臓部となる水晶振動子の小型化が難しく、1959年に放送局用に納品したクオーツ時計は、大きなロッカー並みの大きさだった。そこでセイコーは改良を重ね、腕時計サイズの試作品を1967年に完成。さらに2年をかけて製品版である「クオーツ アストロン」を1969年に発売した。これは時計界に革命をもたらす出来事であり、世界初のクオーツ腕時計として、従来の機械式腕時計と比較して、約100倍の精度を実現した。
正確無比な列車の運行を
支えてきたプロ仕様
今も現役の「SEIKO鉄道時計」
後継モデルのムーブメントは手巻からクオーツに変更されたが、視認性が高く、シンプルこのうえないデザインが90年以上も継承されている。
車両がデジタル化されていく中、今も多くの列車の運転台には、鉄道時計を設置するポケットが設けられ、個々の運転士の時計がはめ込まれる。日本の鉄道は世界一時間に正確といわれる。その運行を支えてきた鉄道時計を、愛用品のひとつに加えていただきたい。
今では定番の10時8分42秒の由来
今ではアナログ時計を撮影するときの定番となっている「10時8分42秒」。これは1964年以来、セイコーがカタログを製作する際に統一して採用している時刻設定だ。この時間なら時針と分針、秒針が重なることがなく、ブランド名やロゴも隠れないので、デザインをしっかり見せることができる。また時針と分針が上向きの方がダイヤルが美しく、引き締まって見えるという意図もあるのだ。02 国産初のクロノグラフ
「クラウン クロノグラフ」
02 国産初のクロノグラフ
「クラウン クロノグラフ」
ソーラークロノグラフ SBDL111 103,400円(税込)
セイコーの
“正確な時を計る”DNAを
結集したスポーツウオッチ
2024年の新作はサーキットレースやハイウェイ走行、そしてワインディングを走るライトウェイトスポーツカーなど、モータースポーツの世界観をイメージしてデザインされており、スピードの世界に生きる男たちを魅了する。
ムーブメントはいずれもソーラー充電式クオーツを採用し、満充電で最大約6か月駆動する。
日本で初めてのテレビCM
服部氏の「常に時代の一歩先を行く」という信条を受け継いだセイコーは、なんと日本で初めてテレビでCMを放映した企業である。この1953年に放映されたCMでは、セイコー初のプラスティック枠目覚時計「コメットフラワー」がテレビ画面に登場。この時計のゼンマイの巻き方を紹介したあとにセイコーの時計台を映し、正午の時報を流した。03 1965年に誕生「国産初の
ダイバーズウォッチ」
03 1965年に誕生「国産初の
ダイバーズウォッチ」
メカニカル SBDY123 86,900円(税込)
実用的な機能を備えつつ日常生活にも溶け込むデザイン
SBDY123とSBDY125は世界最大のダイビングネットワーク「PADI」とのコラボレーションモデル。「青く美しい海の世界」をテーマに、ダイバーが海中から見上げた降り注ぐ光と水面のゆらめきをモチーフにしたダイヤルが特徴。
SBPK001はセイコー初のソーラーGMT機能を搭載し、時差の異なる2つの国の時間を同時に表示することが可能。こちらのムーブメントはソーラー充電式クオーツでカレンダー連動時差修正機能も備わる多機能な一本だ。
1000分の1秒への挑戦
アスリートがタイムの限界を競うように、時計界も高精度なストップウオッチの開発を競っている。日本国内では1960年代まで公式競技に対応するストップウオッチはなく、複数のストップウオッチによる計測では誤差が発生していた。そこでセイコーは1962年にスタート・ストップ時にハートカムというパーツを用いるアイデアで、誰が押しても誤差がでないストップウオッチを実現した。その後1964年に東京で開催された世界的なスポーツ大会に合わせて、1/100秒が計測できる画期的なストップウオッチを開発。日々進化を遂げる技術は、現在の1/1000秒計測が可能な最先端のシステム開発へと繋がっている。04 世界初のクオーツ腕時計
「クオーツ アストロン」
04 世界初のクオーツ腕時計
「クオーツ アストロン」
ソーラー電波モデル 165,000円(税込)
セイコーが世界に先駆けて販売したクオーツウオッチ
「クオーツ アストロン」の名を受け継ぐ先進性の象徴
本モデルは、チタンケースによるスリム化と軽量化を果たし、さらに「GPSソーラー」機能と「スーパースマートセンサー」機能の2つの機能を搭載する。
ファンが名付けた愛称たち
SAMURAI(サムライ)
ステンレスケースに、まるで日本刀でスパッと切り落としたような直線的な傾斜があるモデル。全体的に鋭利に見えるフォルムから「サムライ」と呼ばれている。SUMO(相撲)
どっしりとした安定感のある大ぶりなフォルムが、日本の国技である相撲の力士を思わせることから「スモウ」の愛称で親しまれる。12時のインデックスも力士独特のヘアスタイルである大銀杏に見えるとか。ご購入頂いた方に限定
本ページで紹介している時計を購入された方に。SEIKOのロゴが入ったボールペンをプレゼント。