『Wine百色Glass』 ”Glass16” 樹林ゆう子

大人の逸品エッセイ
2025.06.18
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 このところトシのせいか、はたまた飲み過ぎのせいなのか、濃厚な食事を食べると疲れてしまう。食事だけでなくワインも同じで、ビンテージが若く、筋肉質で濃いめのボルドーなどと対峙すると、完全に「飲み負け」してしまう。薄旨系であるブルゴーニュでさえも、2020年のような濃いビンテージだと、気合を入れて飲む感じになり、グラスを重ねるペースが落ちていく……。

 そんななかで栓を抜く頻度が増えてきたのが、日本ワインである。日本ワインは、気象条件で葡萄の糖度がそれほど上がらないせいか、あるいは土着酵母の性質のせいか、柔らかくて口当たりの優しいワインが多い。リリース直後もいいのだが、しばらくセラーで寝かせておくと、さまざまな要素が融合して、まったりとした味わいとなり、えもいわれぬ安堵感と寛ぎを味わえる。

ジオヒルズワイナリー『ピノ・ノワール』2021年
ドメーヌ・フジタ『日向山ピノ・ノワール樽仕込み』2020年(テールドシエル委託醸造)

 最近とくに印象に残った日本ワインは、まず長野県小諸市「ジオヒルズワイナリー」の『ピノ・ノワール 』2021年。22年の冬に、リリースされた直後も美味しいと思ったが、2年の熟成を経て、一段と優しく、包み込むようなワインになっていた。
 同じく小諸市にある「ドメーヌ・フジタ」の『日向山ピノ・ノワール樽仕込み』2020年ビンテージも素晴らしかった。21年6月発売の時に買ったので、セラーで4年ほど熟成させたことになるだろうか。見た目は薄く淡い色目だが、味わいは色に反して重厚で深遠。ヴァイオリンの音色のような長い余韻があり、ずっと飲んでいたくなるようなワインだった。 白ワインでは、長野県東御市の「ツイジラボ」が作る、自社畑のシャルドネ100%の『ももわん』2023年が、とてもよかった。海外産のシャルドネに時折あるシャープでキレキレな酸味とは真逆の、柔らかくて透明感のある酸味に、癒された。

 日本人のDNAに沁み入るようなこれらのワイン、もう一度飲みたいと思って探してみるが、残念なことに、ほとんど同じビンテージを買うことができない。ワイナリーのHPでも完売しているし、ワインショップでも入荷がそもそもないか、売り切れている。
 そう……日本ワインの残念なことは、生産本数があまりにも少なくて、多くのワインが簡単には「リピート買い」できないことだ。あるワインを気に入り、ワイン仲間に広めたいと思っても、同じビンテージを追加で買えないので、それができない。
 もうひとつの問題は、日本ワインの生産者は多くが小規模で、保存用の倉庫などを持たないため、バックビンテージが市場に出てこないこと。熟成すればポテンシャルが上がるはずのワインも、リリース直後に売り切ってしまうので「未来の可能性」を消費者が味わうチャンスがない。フランスでは、生産者が自社カーブで何年か熟成させてから市場に出すケースも多い。20年も熟成させ、飲み頃に達してから放出するドメーヌもあるほどだ。

 「時間の魔法」でワインの構成要素がひとつにまとまると、本質的なポテンシャルの高さが見えやすくなる。熟成させたキュベを売るということは大きな意味を持つので、日本にもそういうワイナリーが増えてくるといいのだが……。今のところそういう作り手は、非常に稀な存在といえるだろう。

ツイジラボの白ワイン『ももわん』2023年

オーナーの六川泰さん。最近は輸出業が忙しく不在の日も多いので、予約は必須とのこと。
デグステーション北青山のエントランス

●350種類の日本ワインをグラスで提供● 

 日本のワイナリー数は、2017年からの5年間で1.3倍に増え、現在は600軒に近づいているそうだ。しかし、その多くは少量生産の家族経営ワイナリーで、流通量が少なく流通ルートも限定的。ゆえに彼らのワインは、酒販店や飲食店でも見かけることのない「レアもの」になってしまっている。

 「この現状が続くと、日本ワインはマニアの世界に留まったままになる。インバウンドを含め、もっと多くの人に日本ワインの魅力を知ってもらいたいんです」と語るのは、東京・港区のワインバー「デグステーション北青山」オーナー、六川(ろくがわ)泰さんだ。
 デグステーション北青山は8人で満席になる小さな店だが、164本入りの大型ワインセラーが4台もあり、店の面積のほとんどをセラーが占めている印象である。中身はすべて日本ワインで、なんと350種類ものキュベを常時ストックしているという。

デグステーション北青山の店内。セラーの存在感がハンパない。

 この店のすごいところは、すべてのワインをグラスで提供していることだ。極少量の30㏄から、60㏄、90㏄、120㏄と、お客は好みの分量でオーダーできる。こんな融通の利くシステムのワインバーは、私の知る限り、日本ではここだけである。
 
 「食事は出してないので、0次会で来る方と、2次会で来る方が多いですね。場所柄かインバウンド比率が高く、半分は外国人です」 見るからに都会人といった風貌の六川さんは、東京で金融系の仕事に就いていたそうだが、ある時、両親のルーツである長野県上田市に、墓じまいをするべく訪れた。その時、実家周辺の土地が「ボルドーのオー・メドック的なテロワール」で、葡萄栽培に適していることに改めて気づき、塩田平・古安曾(こあそ)に 3ヘクタールの畑を作り、ワイン用の葡萄を植える。2012年のことだ。

 それから10年以上、ワイン作りの現場に立ち続けた六川さんは、小規模経営・少量生産による「日本ワインの壁」を実感する。

向かって左が30cc、右が60cc。30ccだとおおむね1000円以下、60ccだと1500円~2000円くらいで飲める。

 「少なすぎるから畑を増やしたい。しかし予算を考えると怖くてできない生産者がいる。かたや熟成させて出したいが、ワインを置く場所がないという生産者もいる。そうした問題点を解決するために、畑を増やしたい方には我々が契約農家となり、ワインの生産量アップを後押しする。ワインを長期熟成させたい人には、うちが受託業者となってワインをカーブに預かったり、樽で買い取って、熟成させてから販売するといったサービスも展開していきたい」
 一方で、六川さんは一般消費者にも、日本ワインの魅力を知ってもらうために、飲んでもらう場所を設けなくてはならないと考えた。数多くの日本ワインとの“出会いの場所”としてのワインバー、それが「デグステーション北青山」である。ちなみにデグステーションとは「ワインの試飲」を意味する言葉である。

六川さんが運営する古安曾農園。写真はシャルドネだが、看板ワインはカベルネ・ソーヴィニヨン。

独自のシステムでアルゴンガスを注入し、ワインの酸化を防ぐ。
品揃えは長野ワインと北海道ワインがもっとも多い。赤白の比率は、赤3白1と、赤ワインが中心だ。

 ここではワインをグラスで提供するために、特製の機械を使い、酸素を遮断するアルゴンガスをボトルに注入している。セラーに寝ているボトルは未開封はほぼなく、すでに何杯か注がれたものばかりだが、アルゴンガス効果でワインはほとんど酸化しないという。
 「お客さんの反応を見て、それを作り手にアウトプットすることもこの店の役割だと思っています。例えば最近の日本ワインのトレンドは『自然派』ですが、店では自然派に寄り過ぎないものが意外と人気だったりね。また、インバウンドの方は海外のコピーのようなものより、日本らしいオリジナリティのあるワインを好みます」
 六川さんは日本ワインを輸出する仕事にも力を入れている。取引先はシンガポールなど、アジア圏が中心という。
 「日本ワインの魅力は確かにあるんです。他のどの国にもない独特の柔らかさ、深くジワッとくる滋味がある。酵母の違いなのかもしれませんが、やはり発酵の国のワインだなあと思うんです」

 取材の日、私も写真の6種類のワインを試飲させてもらった。
 ワインは、グラスにいれてから時間を置くと、蕾が開くように変化してきて、全体像がわかりやすくなる。そういう意味で、30㏄だと一瞬で飲み終えてしまうので、序破急を味わうためには、少なくとも60㏄を飲むことをお勧めしたい。60㏄を4種類飲んだところで240㏄、つまりグラスにたっぷり2杯程度なので、酔っぱらうほどの量ではない……ハズだ。

 ちなみにこの日の試飲で、私が特に気に入ったのは北海道のワイナリー「Due Punti Vineyard」の『北斗文月赤2023』。96%ピノ・ノワールで、ツヴァイゲルト、メルローが若干ブレンドされている。柔らかくて品もあり、風を感じる涼しげな味わい。つい1本買っていきたくなり、六川さんにお尋ねしてしまったのだが……。
 「うーん、買えるワインももちろんありますが、残念ながら北斗文月はもう買えないと思います」
 やはり、そうでしたか。ちょっと残念だが、出会えただけでハッピーとしよう。一期一会、それもまたワインの魅力なのだから。

取材をかねて試飲した6種類のワインたち。どれも個性的で、驚きがあった。
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