英国アンティーク博物館でひときわ目を引く一通の手紙。その送り主は、あのシャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイル。
今回はその直筆の手紙から、時を超えて届いた“コナンからのメッセージ”に触れてみよう。
▲アーサー・コナン・ドイル直筆の書簡
<BAMコレクション>

◆手紙の相手は“ワトソン”? でも…ちょっと違う!
コナン・ドイルは、この手紙の中でワトソンに対して、手紙受領のお礼と演劇チケットについて書いている。よく見れば宛名は「Miss Edith Wattson」。最初は「まさかホームズの相棒ワトソンに?」と思ってしまうが、実はまったくの別人である。正しくはEdith Sara Watson(1861–1943)。アメリカ・コネチカット州生まれの女性写真家で、1890年代から1930年代にかけて、女性の労働を芸術的に記録し、社会へ発信していた先駆者である。
コナン・ドイルが宛名に綴ったのは「Wattson」という綴り。これは単なる書き間違いか、それとも偶然の一致か。名探偵が好みそうな謎が、すでにこの手紙の冒頭から漂っている。
▲Edith Sara Watson(1861–1943)
カメラを通じて女性のリアルを描いた、社会派フォトグラファーの草分け。
<BAMコレクション>

◆ロンドンの劇場でのひと幕が書かれた手紙
手紙の本文には、ドイルが自作の舞台に招待する内容が記されている。1909年、ロンドン・ヘイマーケットの劇場で上演されていたのは、彼の戯曲『運命の炎(The Fires of Fate)』である。
「ウォラーも良いが、今回はヘイマーケットのキャストの方が良い」と、ドイルは演者の違いまで比較している。俳優にまで鋭い観察眼を向けるあたり、やはり“名探偵”の父である。
さらに驚かされるのは、彼のペン字の美しさである。医師出身という背景も関係しているのか、筆跡は流麗で読みやすく、格調がある。
お宝鑑定のテレビ番組でも有名人の書簡が時折登場するが、筆跡や紙質、内容など様々な観点から判断され、直筆であれば驚くべき高額鑑定がつくこともある。
このコナン・ドイルの手紙は、古書の専門家・八木正自氏による鑑定により真筆と確認された。現在は英国アンティーク博物館BAM鎌倉の3階、「シャーロック・ホームズの部屋」にて展示中である。
▲アーサー・コナン・ドイル直筆の書簡(1909年)
劇場への招待を綴った一通。作家としての顔と、社交的な一面がにじむ貴重な記録。
<BAMコレクション>

-手紙の文面-
Dear Miss Edith Wattson,
I thank you heartily for your very kind letter. I wonder if you have seen the new cast perform. There is a press night on Thursday next at the Haymarket. I send a card for two seats in case. On the whole I think the second cast is better than the first―though, as you say, Waller is always excellent. With renewed thanks.
Yours very truly,
Arthur Conan Doyle
◆コナン・ドイル作品、今や“投資対象”に
熱心なシャーロック・ホームズのファン=“シャーロキアン”たちにとって、コナン・ドイルにまつわる資料は喉から手が出るほど欲しいものである。しかし、近年、投資家の目に留まり、単なるコレクションの枠を超えた“投資対象”となりつつある。
たとえば2023年7月、サザビーズで開催されたオークションに、コナン・ドイルの『背中の曲がった男(The Crooked Man)』の原稿が出品され、話題となった。これは、アメリカの実業家であり文化活動家ロビン・ブラッドリー・マーティンの旧蔵品で、「“Elementary,” said he.(初歩的なことだよ)」というホームズの名セリフが含まれていた。
予想落札価格(エステメート)は、35,000〜50,000ドル、日本円にして約490万~700万円。筆者は800万円の予算でオークションに参戦したのだが……。この時、運悪く、アメリカの銀行シリコンバレーバンクに続き、リパブリック・ファースト・バンクの破綻によりドルが不安定となり、投資対象が現物資産に一気に動いた。その結果、落札価格は予想を大きく上回る95,250ドル(約1,330万円)になってしまった。落札者は不明であるが、この貴重な原稿をずっと金庫に保管しておくのだけは避けて、コナン・ドイルの功績を世の人に公開して頂きたい。と切に願う…。
▲『背中の曲がった男』挿絵(シドニー・パジェット画)
ヴィクトリア朝の空気感とホームズの鋭さを視覚で伝えた名画家。彼の筆もまた、コナン・ドイル作品の一部である。
<BAMコレクション>

◆私が手に入れた“コナンの手紙”
一方で、英国アンティーク博物館に展示されている筆者が所有するコナン・ドイルの手紙は、あるイギリスのオークションで非常にリーズナブルな価格で入手したものである。現在の市場価値はどれほどか——正直、気にならないと言えば嘘になる。いや、かなり気になっている。
とは言え、“コレクション”とは、単なる所有ではなく、時代と記憶を未来に渡す役割を担う。
モノを引き継ぐストーリー
次はどんな物語に出会えるだろうか——
英国アンティーク探しの旅は、まだ終わらない。
No Antique No Life
土橋正臣
プロフィール
Masaomi Dobashi【土橋 正臣】
英国アンティーク博物館 BAM 鎌倉館長。1966 年生まれ。長崎大学大学院修了。
外資系製薬会社の研究員を経て、2007 年 株式会社ファーマブリッジを設立。
また、大学院卒業後に初訪問したイギリスの文化に衝撃を受け、2012 年鎌倉アンティークスを設立。
英国アンティーク輸入やイギリス関連イベントのコーディネートを手掛ける。
日本一のロンドンタクシーコレクターとして、本物のブラックキャブを年代別に所有する。
また、2022年、長年の夢であった英国アンティーク博物館「BAM 鎌倉」をオープンさせる。
建築デザインは隈研吾氏が担当。
古き良きものを継承する啓蒙活動の一環として「No Antique No Life」を掲げて
次世代に向けてアンティークの素晴らしさを発信中である。
