町内の音楽会で偶然に出会った
女性シンガーと幻のギター
実は、なんて改めてことわるまでもなく、僕には趣味が多いが、ここ数年、もっとも嵌まっているのがギターである。
それでギターのことばかり考えていると、不思議にギターに関する情報が集まり人脈がひろがっていく。
そのひとつが本夛マキさんとの出会いだ。
本夛マキさんは奈良出身のシンガーソングライター。高校のフォークソング部で出会った河島アナムさん(あの河島英五さんの娘さん!)と結成した「アナム&マキ」で2000年にメジャー・デビュー。8枚のシングル盤と6枚のアルバム(ベストアルバムを含む)を発表し、2008年12月31日にユニットでの活動を休止したという。
ソロとなったマキさんはさまざまなミュージシャンと交流しつつ日本各地を巡ってライブを展開。その活動のひとつに、こちらもソロのシンガーソングライターである「はせがわかおり」さんとのカバーユニット「ヨモギ」がある。
僕がマキさんと知り合ったのが、その「ヨモギ」のライブ。かおりさんの自宅が我が家の近くで、町内にあるライブやミニマルシェを開催する不思議な場所で2024年5月に行われた音楽会にふたりが出演した際、それを間近で聴いたのだ。
この時、マキさんが抱えていたのが有名ルシアー(もともとはリュートを作る人の意味だが、ギター製作家のこともこう呼びます)の作品で、今では極めて入手が難しく、マニアに“幻”とさえ呼ばれる名作ギターだった。
そこで僕はライブの後、マキさんに声をかけた。
「そのカオルギターは、いつどこで入手したんですか?」
「えっ! 知ってました? カオルギター!」
「ええ、20年以上前、ギター雑誌で九州にいるカオルさんという方が作っているギターを見たことがあって。その木の葉のような、ヒゲのようなピックガードに見覚えがあったから」
「そうですか、詳しいんですね」
「いやまあ、それほどでもないけどギター好きだから」
というわけで後日、改めてマキさんにカオルギターとの出会いを聞いたのだが、これがまた滅法面白く、絶対皆さんにお知らせしたいので、この記事を作ることにした。
では、いよいよ次の章から本夛マキさんとカオルギターの出会いの物語がはじまります。前フリが長くてごめんね。
▲2024年5月の「ヨモギ」ライブ前日、僕の家内と本夛マキ(右)さん、はせがわかおりさん(左)の3人で友人の山の畑までヨモギ摘みに出かけたときのスナップ。

▲このとき摘んだヨモギを使って家内が「ヨモギ白玉」を作り、音楽会のマルシェで販売した。もちろん、マキさんとかおりさんにも差し入れしました。

▲本夛マキさんとはせがわかおりさんによる「ヨモギ」のファースト・アルバム「うた~以心伝音~」。「ヨモギ」は過去の名曲を歌うカバーユニット。フォークの名曲から昭和歌謡まで幅広いジャンルから彼女たちの琴線に触れた曲が歌われてます。ふたりのギターの音色とテクニックにも注目! そしてかおりさんのギターもルシアー・メイド。こちらもいずれ探求したい。発売中。


▲2024年5月19日の「ヨモギ」ライブで歌う本夛マキさん。もちろん弾いているのは中島馨さんが製作した「カオルギター」。ライブではピックアップを装着し、いわゆる「エレアコ(エレクトリック・アコースティック)」として使っているが、特製のDI(ミキサーに出力するためにバランスをとる装置)を通した音色は、いわゆる"エレアコ臭さ”がなくて、あくまでもナチュラルで美しい。
「良いギターを買ってこい!」
社長の一声で巡り合った運命の1本
「1999年に『アナム&マキ』というユニットでのデビューが決まり、東京に出てきて音楽事務所に所属したんです。そしたら、そこの社長が『良いギターを弾かないと良い音楽ができないから。お金渡すから良いギターを買ってこい』っていうんです。そこで渋谷の楽器店に行って、いろいろなギターを弾かしてもらいました。ところがマーチンもギブソンも、なんか違うなって。これはゴツいし、あっちはデカいし、どれも全然しっくりこなくて。もう諦めて帰ろうかと思ったら、奥の壁にポツンと掛かっていたギターがあったんです。それがなんていうか形がめちゃくちゃ可愛いなと思ったんで、店の人に『アレ弾かせてください』と頼んだら、『あれはプロトタイプ(試作品)で売り物じゃないんだ』って。でも、どうしても諦めきれなくて『弾くだけ弾かせてもらえませんか?』と頼んだら、『まあ弾くだけなら』って弾かせてくれたんです。
それで弾いたら、自分の身体の大きさや手の角度がぴったりきて本当に相性が良くて。それまでに弾いたどのギターとも違って優しくて綺麗な音がしたんです。なんていうか自分のやんちゃな部分とは違う、体の奥にある繊細な部分とマッチして、これじゃなきゃダメだって思ったんです。
そこで『これじゃないとヤダ!』って気持ちを伝えたら、店員さんが『じゃあ本人に聞いてみるよ』って、九州の製作家本人に電話をかけてくれたんです。『もしもし馨さん? あのプロトタイプのギターって売らないんですよね?』『あれは売らないでください。未完成なものを出したら何かあったときに評判が下がっちゃうからね。でも、なんで?』『いや、店に掛かっているのを見て、どうしても弾きたいっていうんで弾いてもらったら、これじゃなきゃダメです、どうしても売ってくださいっていうんです』『それ、どんな人?』「19歳の女の子です』『え~っ! 19歳の女の子! 面白いね。だったら売ってもいいよ』『ホント、いいんですか?』てなったんです」
以上の店員さんと馨さんのやりとりは、入手後にマキさんが店員さん本人から『実はこんなやりとりがあったんだよ』と聞いた話。それを僕が若干の脚色を加えて文章にしたけど、なんとそのカオルギター、つまり九州熊本の工房でひとりでギターを製作するルシアー中島馨(なかしま・かおる)さんの試作品ギターを入手できたというのである。
「この出会いから、このギターですべての曲を作り、レコーディングもほぼ、これでこなしてきました。私はたくさんのギターを持って、とっかえひっかえ使うタイプじゃないので、まるでこのギターが自分の半分のようにして月日が流れたんです」
この劇的な出会いから現在まで、およそ25年以上の歳月をマキさんはカオルギターと共に過ごしてきたが、その歴史はギターに刻まれた無数の傷からうかがい知ることができるだろう。
▲2000年11月に発売された「アナム&マキ」のファースト・アルバム「イキって生きろ」。ウェブを検索すると、“アグレッシブ・アコースティックギターバンド”と紹介されているように、アコースティック・ギター2本のデュオだが、彼女たちが作る楽曲はパワフルでスピード感に溢れている。なによりギターのサウンドとテクニックは、今聞いてもまったく古さを感じないね。

▲九州熊本に工房を構える「Kaoru Acoustic Craft(カオル・アコウスティック・クラフト)」の中島馨さんが製作したアコースティック・ギター「OWL~from scratch」。材質はトップがスプルース(トウヒ)単板、サイド&バックがマホガニー単板。「OWL(オウル)」というのは中島さんのギターのシリーズ名。マーチンのドレッドノート・タイプとも00タイプとも異なる独自のシェイプ。どちらかというとボトムが張り出したギブソンのジャンボ・タイプに似ているが、ちょっと小ぶりで、かつボディが薄いので、しっかりとした低音が出つつ、澄み切った高音も美しく出るバランスの良さがあるのではないかと僕は勝手に考えている。そして、このボディの薄さがマキさんが抱えたとき、しっくりきたのじゃないかと思う。

▲木の葉のような形の木製ピックガードがカオルギター「OWL」の特徴。でも、これでは小さいのでマキさんの激しいピッキングによってサウンドホールのフチが削り取られてしまった。マキさんによれば「本体の傷は、ほとんどが『アナム&マキ』初期のサムピックを使ったアグレッシブ過ぎたピッキングによるもの」とのこと。当時の激しいピッキングから保護するため、馨さんが透明なゴルペ板(保護シート)がホール左右に貼ってくれたそうだが、現在はジェルネイルをピック代わりに装着し、柔らかいタッチで演奏しているとのこと。

▲独特な形のヘッドにカオルギターの「K」をかたどったインレイ(象嵌)が入っている。ロック機構付きのシュパーゼルのペグ(チューニング・マシン)を装着。
▲ギターの裏側も傷だらけ。これはベルトのバックルが当たることでできたバックル傷だと思う。座って弾くだけでなく、ライブで立って弾くことの多いマキさんならではの傷でもあるが、「これも『アナム&マキ』初期の傷です」とのことです。

里帰りした傷だらけのプロトタイプを見て
製作家本人が「ゼロから始まる」と命名した
「実は19歳で手に入れたばかりのとき、最初は硬くて鳴りにくかったんです。ただ、歴史があるブランドのギターって個体差はあまりなくて、音に安定感があるじゃないですか。大体、どれを弾いてもマーチンはマーチンの音、ギブソンはギブソンの音というのがあるけど、カオルギターは弾く場所や季節によって、いつも音が変わるんです。たしかにプロトタイプなので未完成な部分もあって、弾き方でだいぶ音が変わるし、自分次第なところがあって。ある意味、このギターで鍛えられましたね。もちろん『良い楽器じゃないと良い音楽ができない』というのは、まさにそうだったんですけど、ブランドとして確立したギターだったら、また違う音楽になってたかなと思います」
2009年にひとりのシンガーソングライターとしての活動を開始したマキさんは、相棒のカオルギターを抱え全国を巡って歌う日々を過ごしてきた。そして入手から20年あまりが過ぎた2021年の冬、マキさんはこの相棒を改めて製作者である中島馨さんのもとに送ってメインテナンスしてもらうことにした。
「直接、持っていくのではなく熊本の工房に送ったんです。それで手元に帰ってきたら細かなところも丁寧に補修していただいて、音も新しくなったんです。それでサウンドホールの中を見たら白い紙が貼ってあって、そこに“OWL”~from scratch”(オウル~フロム・スクラッチ)と書いてあった。それで馨さんにすぐ電話して、『なんか紙が貼られていますけど、なんですか?』って聞いたんです。そうしたら『1999年にマキちゃんが手に入れてからずっと弾いてくれて、それで今ではマキちゃんの音になっている。作った最初は繊細な優しい音だったけど、ずいぶん男らしい音になったね。なんだか自分の作ったギターじゃないみたいだよ』って。それで、どうして“フロム・スクラッチ”なんですかと聞いたら『マキちゃんの演奏方法がひっかいて弾くというのがあって、これだけの傷が付いたんだね。そこで“フロム・スクラッチ”と命名した。これは"ゼロから始まる"とか“イチからスタートする"って意味。このギターとマキちゃんのスタイルがぴったりだったので、この名前を付けたんだ』っていわれたんです。それから製作番号もわかったらしくて“No.61"ってラベルにありました。なんでもNo.60が渡辺香津美さんのモデルで、私のはその次の『OWL』のプロトタイプってことらしいです」
▲2021年にマキさんが中島さんの工房に送ってメインテナンスを施してもらった際に貼られたラベル。それまではプロトタイプということでラベルは貼られていなかったという。このとき、初めてギターの名称やシリアルナンバー、製作者の名前が書き込まれたラベルが貼られたのである。

カオルギターがあったからこそ
歌い続けることができたんです
それにしても本夛マキさんとカオルギター。長年使っていることもあるけど、これ以上のマッチングってあるだろうか?
「私にはこのギターがないと音楽ができなかったんです。『アナム&マキ』が20台後半で終わったとき、けっこう絶望したんですけど、カオルギターがあったから続けられた部分はありました。
それに私自身、これからは感覚だけで生きていこうと決めたことがあって。ルールがあることはわかってるけど、ゼロからイチを産み出すこと、つまり自分の中から出てくる感覚を信じようと思ったんです。その始まりがこのギターだったんです。
それに馨さんにメインテナンスに出して、『このギターの名前が決まりました。“フロム・スクラッチ”です』っていわれたときは、『えーっ!』と思ったんですけど、馨さんのギターがあって自分がやってこれて、それで20年後に名前を付けてくれたことで勇気をもらえたので、とても感謝しています。時と共にギターも私も変わってきて、傷だらけのボディが誇らしいと馨さんが思ってくれたことで最終的に名前を付けてくれたのが嬉しいし、私、まだまだやれるなと思ってますよ」
マキさんによれば馨さんは、こんなことも話してくれたという。
「自分は少ないなりにギターをたくさん作ってきたけど、手に入れた人とコミュニケーションをとることがほとんどない。でも、マキちゃんはまめに連絡をくれるし、ギターの経年変化を見られることは滅多にないので家族のような気持ちでいます」と。
「このギターは雑に旅につきあわせて過酷な目に遭わせてきたけど、それが誇らしいと馨さんが言ってくれたのが嬉しくて二枚目のアルバムのタイトルにもしました。ただ、作った日付はわからないらしくラベルには“デイト・アンノウン”と書いてあります。もちろん、このギターでレコーディングして『フロム・スクラッチ』という曲も作り、その詩に“フロム・スクラッチ デイト・アンノウン”というフレーズを入れました。だから馨さんには感謝です。そんなに何度も会ってはいないけど、このギターを生んでくれた人だし、私の音楽の父みたいな感じです」
でも、一本のギターにそこまで頼れて、しかも触発されるのってすごいことだし幸せなことだよね。
「ひとりでやると決めたとき、自分の中の良い音、その感覚を音楽を通して完成させていこうと決めたんです。これまで多くのシンガーソングライターが作った名曲がたくさんあるのに、わざわざ自分で作って歌っているというのは、よっぽどやりたいんだなと。そう、どうしても自分でやりたい。私はその楽しみと大変さと喜びを知ってしまったから、やるって決めたからにはやるんだと。その私が試作品だったカオルギターと出会えたことで、何者でもなかったものが何者かになっていったんです。本夛マキとして再スタートして15年たちますが、いつでもゼロから始めるという自分のスタイルを作ってくれたのが、このカオルギターだったのかな、と思います」
これからも「カオルギター“フロム・スクラッチ”」がマキさんといろんなところを旅して、素敵な曲を生み出してくれることを、ひとりのファンとして期待し応援し続けます。頑張ってね、マキさん&“フロム・スクラッチ”!
▲本夛マキさんが2022年9月に発売したソロとしては2枚目となるフル・アルバム「from scratch」。全編、マキさんの弾くカオルギターのサウンドがフィーチュアされているが、中でも凄みある音が聞けるのが唯一のカバー曲、ムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」かな? ヴォーカルも抜群! マキさんがこの曲をカバーした背景には、2012年にムッシュと「バンバンバン」をセッション・レコーディングして一緒にツアーを回ったことだそう。この動画はYouTubeで見ることができます。カッコいい!

▲本夛マキ(ほんだ・まき)奈良県出身。1995年、高校時代にアコースティック・ギターと出会い、作詞作曲と弾き語りを始める。その頃、同じ高校に通う河島亜奈睦(アナム)さんとフォークソング部で出会い「アナム&マキ」を結成。1999年にメジャー・デビューが決定。2000年、初のシングル「戦え!野良犬」をリリース後、数々のライブをこなし、シングル8枚、ベスト盤を含む6枚のアルバムを製作。2008年12月、ユニットでの活動を停止し、2009年からソロのシンガーとしての活動をはじめて現在に至る。

▲本夛マキさんのこれまでと今、そしてこれからがわかる公式ページ。「from scratch」収録曲のレコーディング秘話も読めるし、マキさんや「ヨモギ」のCDを購入することもできます。

プロフィール
Masaharu Nabata【名畑 政治】
1959年、東京生まれ。’80年代半ば、フリーランス・ライターとしてアウトドアの世界を
フィールドに取材活動を開始。
’90年代に入り、カメラ、時計、万年筆、ギター、ファッションなど、
自らの膨大な収集品をベースにその世界を探求。
著書に「オメガ・ブック」、「セイコー・ブック」、「ブライトリング・ブック」(いずれも徳間書店刊)、「カルティエ時計物語」(共著 小学館刊)などがある。
現在は時計専門ウェブマガジン「Gressive」編集長。
